今回のわたしの素は「母」についてです。
昭和6年生まれ。39歳の時に私を産んでくれました。私は二人の兄と16歳、15歳違いです。
私が40歳になった頃、もうすぐ80になる母に「お母さん、生んでくれて本当にありがとう!」を伝えるつもりでした。それなのに、母の方が私より早く「お前、生まれてくれてありがとね〜、どれだげたのしませでもらったがわがんね〜」(山形弁)と言われてしまいました。
母は結婚をしてから、女中扱いの日々。兄たちの妊娠中も朝3時に起きて豆腐を作り(豆腐屋でした)、家のことをして、寝るのは12時過ぎだったとか。毎日3時間ほどしか寝ていなかった母。妊娠中毒症になってもなかなか入院させてもらえなかったそうです。
そんな母、父が起業してまだ収入がなかった頃は、山菜を瓶詰めにして、リアカーを引いて市場に卸しに行っていました。女のくせに!と市場の男衆にバカにされても、「稼いででっかい家建てるんだ!」と豪語していたらしいのです。(それはのちに本当になります)
70過ぎてからは、胃ガン・弁膜症・胆管炎と病気のオンパレードで、塩分はあまりとってはいけないのに、大好物は漬物。それでも余命宣告よりずっと長生きしたのですから、人は意識によって変わることを、身を持って教えてくれた気がします。
私は、残念ながら大好きだった母の死に立ち会うことができませんでした。
なくなる前日には自分で髪を染め、お昼ごはんに父とお寿司を食べ、母の城ともいえる台所で、ひとりで静かに84年という人生を閉じました。
私に「死」というインパクトを与えたくなかったかのような最後。「またね、一旦、さようなら」というような…。
今世親子になったということはとても深い縁なのだな〜。そして死ぬことは終わりではないんだな〜と母が教えてくれた気がしました。
生き方は死に方につながる。母からの最後のプレゼントはこの質問だった気がします。「さあ、あなたはこの時代に、どう生きる?」。