28歳で絶望といわれた肝硬変。救ったのは草根木皮でした。その経験から草根木皮の本当の良さを実感し、心から信じ、あらゆる人にその効果があるはずだと確信しました。
今月から新発売の『宝寿茶』の開発者、塚田勝久さんにお話を伺いました。
御年76歳にして、ツヤツヤとしたお肌、張りのあるお声、活力にあふれた塚田さん。
病気とは無縁にも思えるそのお姿ですが、実は、若くして病に倒れ、絶望といわれた肝硬変を草根木皮で克服された、そのご経験こそが『宝寿茶』開発の原動力となったのだそうです。
草根木皮の研究に没頭し、三年もの月日をかけて辿り着いた『宝寿茶』に込められた想いをお話しくださいました。>
28歳の頃、風邪のような症状で一ヶ月も熱が下がらず、とうとう意識不明で大学病院にかつぎこまれました。原因が分からず、結局、家族に「肝硬変で絶望的です」と宣告が下るほどの容態でした。
奇跡的に一命をとりとめ、退院にこぎつけたものの、健康とはほど遠い毎日でした。
朝は調子が良くても、昼にはだるくてだるくて、見るもの全てがしゃくにさわり、当時二人の子どもも小さかったのに、手を上げたり…。心配した私の母親が漢方の先生の所に連れて行ってくれまして、そこで「あなたの病気は精神病。自意識が強すぎる。全てを捨てれば、身体は治る」と言われたんです。
全てを捨てるとはどういうことかわからないままに、先生について行くことを決意しました。
まず大菩薩峠に連れて行かれ、山を歩けというんです。
沢の水はいくら飲んでも良いが、あとは絶食。ひたすら山を歩き回り、沢の水を飲みました。
鉱泉で身体や服を洗うと、恐ろしい悪臭がするんですよ。それだけ身体に毒が溜まっていた。
身体が絶食に慣れたら「草根木皮を食べて良い」と言われ、食べてみると、臭いわ苦いわ、とてもじゃないけど食べられない。しかし食べるしかないから食べる。
そうしたら茶色いオシッコがどんどん出て、徐々に身体の臭いがなくなり、身体が良くなっていきました。
その後10年ほどその先生について、たくさんの人を山に連れて行き、治しましたよ。
みんな辛くて下山してしまうのだけれど、どうしても治らなくて、やけくそでまた山に来る人がいる。草根木皮を続けていると、そういう人も治ってしまうんですね。
太陽が葉っぱに当たり、土に入って、エクスプラズマが出る。
「光に当たった葉っぱをかじれ。
土にあるものをなめろ。陰陽五行に全てが入っていて、全ての病気を治してくれる」。そう言われて、信じて頑張るんです。
その時の経験で、私は草根木皮の本当の良さを実感し、心から信じ、あらゆる人にその効果があるはずだと確信しました。
しかし、やはり苦くて不味いものは続かない。長く続けることで、野草のもつ本当の力が身体の隅々まで浸透するのに、続けられなくては意味がない…。
そこで和食の料理長を招いて試行錯誤を繰り返し、開発したのが『宝寿茶』です。
18種の野草が重要な役割を果たす団体戦。
だからこそ、万人の健康に役立つ。
素晴らしい血清作用のある紅花と、スギナは絶対に入れようと決めていました。あとは薬効のある植物を何十種類も集めて、作用と味を確かめながら、陰陽五行に沿って配合してね。
『宝寿茶』は、中心となる薬草を据えず、全ての薬草が重要な役割を果たす「団体戦」なんです。だからこそ、万人の健康に役立つ。例えば肝臓が悪いなら、肝臓だけを治そうとせず、他の四臓を助ける。そうすれば自ずと肝臓も助かるんです。
素材それぞれ、カットの方法、焙煎の温度・時間を変え、配合を変え…あまりの没頭ぶりに周りが呆れかえっていたけれど、「草根木皮を万人に」という情熱を理解してくれて、みな協力してくれるようになりました。
ようやく完成した時には三年経っていましたよ。
『宝寿茶』は、開発当時のレシピそのままに、カット方法・焙煎温度・時間を変えて、18種類別々に焙煎してからブレンドします。全部混ぜて一度にガーッと焙煎してしまっては台無しになるんです。たとえ材料の配合比が他社に漏れても『宝寿茶』と同じ味にできないのは、そこなんです!
『宝寿茶』ができてからは、草根木皮を生でかじらなくてよくなりました(笑)。孫たちも『宝寿茶』を飲んでいるので、インフルエンザが流行っても感染しない。また、寝込むほどの生理痛が『宝寿茶』を飲み続けたらいつの間にかなくなった、お風呂に『宝寿茶』を入れたら膿が出るほどの肌が綺麗になってきた…など、数え切れないほどの人に喜んでもらえました。
これからも、迷うことなく広めていきたいと思います。
(文/スタッフ吉澤)