竹布応援委員会レポート

竹布応援委員会レポート

一人の人間が抱いた揺るがぬ思いは、自分を動かし、人を動かし、社会を動かし、やがては世界を動かすのだなと、しみじみ感じたお話しでした。

今月の人 平久信子さま

プロ・アクティブの堀場さんのお声がけで生まれた「竹布応援委員会」。
8月初旬、竹布開発者の相田雅彦さんから、竹布の貴重なお話しをお伺いする機会があるということで、急きょ、委員の中から3名が参加、相田さんに感動(!)の近況を伺いました。

相田さんが、竹の繊維の量産化に成功したのが2001年。
それから11年の間に、タオル、ストール、インナー、寝具、キッチンクロスなど、様々な竹布製品を世に送り出してきました。
が、それはすべて「天命」ともいえる揺るがない思いを実現させるため。
竹の抗菌力を生かし、『人が最も痛み苦しむその時に、そっと傷に寄り添い、ただ快癒を祈る一枚のガーゼ』を作り、世界中の医療現場に届けることです。

今でこそ、和布やパジャマなどガーゼ素材の竹布製品もありますが、2001年当時は、やっと竹繊維ができたという段階。竹の繊維は織りが難しく、加工も含めてノウハウを蓄積していかねばなりませんでした。
医療現場で使うためには国の認可も得る必要があります。
どんなに物がよくても価格が高くては利用してもらえませんし、何よりも安定供給できることが不可欠です。

「傷の痛みに耐えている人に『今、竹を育てているから待っていてね』なんて言えないですよね」と。
そういった課題を商品開発の中でひとつひとつクリアし、11年の歳月をかけて環境を整えてきました。

竹布ガーゼ、念願の国内生産・供給体制が整って。

そして今。ついについに念願の竹布ガーゼの国内生産・供給体制が整備され、医療現場へ飛び立つときを迎えようとしていると語る相田さん。
ガーゼを織る工場(愛知県知多半島)は、昨年から稼働しているとのこと。
東日本大震災の際は、被災地にガーゼを届けることができました。
また、今は中国で行っている竹の栽培を国内でもスタートしました。

中国では「慈竹(じちく)」という竹を栽培して製品化していますが、慈竹に似て管理のしやすい「緑竹」を300本、熊本県に植えています。
現在すくすくと育ち、10年後には50万本になる予定だといいます。
さらに、織ったガーゼを加工する拠点も熊本県甲佐町に設置されました。
5千坪という広大な敷地に建つ空き校舎の一部を利用します。

20年もの間、放置されていた建物を、作業に携わるシルバーボランティアを中心にきれいにして運営。メンバーの中には、余命宣告を受けるほどの大病を患っていた方もいるそうですが、竹布に触れるうちに、元気になられたとか。

さすが竹布ですね!

利益はあまり出ないけれど、必要としている誰かがいるから。

そんな竹の力に気づき、天命を胸に行動してきた相田さん。
今回伺ったお話の中から印象深かったエピソードをひとつご紹介します。

ガーゼ織り工場を探しに知多半島に出向いたときのこと。
かつては300軒あったガーゼ工場が、なんと0軒。
それでも、布を織れる3軒の工場を紹介してもらい、交渉を始めました。

1軒目NG、2軒目もダメ…となった3軒目。
「ここで断られたら後がない」と追い込まれた相田さんは、相手が口をはさむ隙を与えずに話しまくって疲れさせ、「じゃあ、やってみましょう」と言わせる戦略をとったそうです。
その作戦が見事に成功し、今につながっているわけですが、話を聞きながら思いました。
きっと相手の方は、語り続ける相田さんの中の「揺るがない思い」を見たのではないかと。
だからこその「やりましょう」だったのだろうと。
それはきっと、これまで竹布に関わってきた人すべて(愛用者も含めて)に通ずる思いなのではないでしょうか。

「一人の人間が抱いた揺るがぬ思いは、自分を動かし、人を動かし、社会を動かし、やがては世界を動かすのだな」と、しみじみ感じたお話でした。
「この仕事、利益は、そんなに出ないんです」と穏やかに語る相田さん。
「でも、必要としているだれかのために……と思うから、できるんです」と。

相田さんをはじめ、たくさんの人の気持ちを織りこんで羽ばたく国産竹布ガーゼ、デビュー間近です。世界中の医療現場に行き渡り、ひとりでも多くの人を癒してくれますようにと応援しています。

聞いてあのねカテゴリの最新記事