あの日から一年。東北の痛みに寄り添った竹布。
背中を押されるかのように歩み出した国産のガーゼ。
一緒に届けたいと、メッセージソングも作られた相田雅彦さんに、あらためてお話しをうかがいました。
昨年3月11日、あの日の前日、私は仙台で『竹布』のお話会を開いていました。
その席には整形外科のお医者様もいらして、『竹布』について熱心に話を聞いてくださっていました。
そして翌日、思いもよらなかったあの大震災が起きてしまったのです。
幸い私はこと無きを得ましたが、「とにかく竹布を今、届けなければ」ということだけが頭の中を巡っていました。
ケガをされた方、冷たく硬い床の体育館に、寝たきりの体で避難されている方…。
そんな方々のところへ、一刻も早く『竹布』が届いて役立ってほしい。
そう願って止みませんでした。
生まれたばかりの『竹布のガーゼ』。
その最初の務めは、被災地の傷を癒すことでした。
幾日かして、私にご連絡をくださったのは、震災前日のお話会に参加されていたあのお医者様でした。
何とか無事でいらした先生は、直後から被災地で救援活動をされていて、「避難所で横たわる人達の床ずれが酷いから、『竹布のガーゼ』を送ってほしい」とおっしゃいました。
私はすぐに、手元にあったできたばかりの『竹布のガーゼ』をすべて先生にお送りしました。
そして後日、先生は「竹布だと頻繁に取り替えなくても大丈夫だから、この非常時、とても助かったよ。傷の回復もとてもいい」と私に伝えてくださいました。
『竹布』は、憔悴し免疫力が落ちてしまった体の傷にもそっと寄り添って、その天然の抗菌力で悪化を防いでくれます。
『ガーゼ』は、いつか医療の現場に届けたいと前年の暮れから国内で織り始めていたもの。
その生まれたばかりの『竹布のガーゼ』の最初の務めが、図らずも未曾有の大震災で被災された方々の傷に寄り添うこととなって、私は、『竹布』が進むべき道へ運ばれていることをあらためて感じました。
ただただ先生との出会いに深く感謝しています。
『竹布』はたくさんの方々の愛に乗って運ばれていきました。
暖房も充分に行き渡らない混乱した避難所で、人々はどれほどつらい思いをされたことでしょう。
その寒さが少しでも和らげばと思い、ソックスやストール、Tシャツなど、約6000点ほどの竹布製品を、3月27日、被災地へお送りしました。
プロ・アクティブの竹布販売店さんが、それを手渡しで避難所へ届けてくださったり、治療院の先生が原発で働いている方に届けてくださったり。
『竹布』が尊い絆のリレーに加わることができて、本当にありがたく思っています。
あの日から一年。『竹布』はたくさんの方々の愛に乗って運ばれ、行くべきところへ届いてきました。
『竹布』が持って生まれた使命を確かに果たすことができた一年でもあります。
今年は年明け早々に、以前から早く行きたいと思っていた福島県飯舘村にも行くことができました。
原発事故による汚染の不安に今ださらされている地域へ、早く『竹のうるおいマスク』を届けたかったからです。
ある友人のご縁で、そこで行われていた成人式の席で、新成人の皆さんや飯舘村の職員の皆さんにお渡しすることができました。
またこれを機に、子供用のマスクも作って、まずは福島の子供達に届けようと思っています。
まるで背中を押されるかのように、『竹布のガーゼ』は今、着実に医療の現場へと歩みを進めていきます。
緊急時の備えとして、ご家庭でもご利用いただけるようになります。
昨年から高野山の丹生都比売神社でお分ちいただいている『祓布(はらいぬの)』も引き続きその務めを果たしてゆきます。
国産の『竹布のガーゼ』が大勢の方の救いとなるよう、力を尽くす時だと思っています。
『涙を流していいんだよ』
~相田さんからのメッセージソング~
震災の直後、『竹布』を届けたいという気持ちと一緒に自然と相田さんの心に湧いてきたという詩。
東北の痛み苦しむ人の心に寄り添うように生まれたその詩にメロディーがついて、被災された方々へのメッセージソングができました。
メロディーも相田さんご自身の作曲で、『竹布』と同じあの優しさ、温かさがそのまま心にしみてくる、そんな一曲です。
一人でも多くの方に聴いていただきたいと思います。
YouTubeでどなたでもお聴きいただけますので、ぜひ聴いてみてくださいね。
相田さんご自身が被災地で撮られた写真とともにどうぞ。