「キネマの神様」

「キネマの神様」

ほっとメッセージ

山田洋次監督こそが、彼女にとっての「キネマの神様」でした。

こんにちは。お元気でいらっしゃいますか?

食欲の秋、行楽の秋、文化の秋ですね。
文化といえば映画もその一つ。少し前になりますが、とても心に沁みる素晴らしい作品を劇場で観ました。それは新型コロナ感染で無念にも急逝された故志村けんさんが初の主演を務められることになっていた「キネマの神様」という映画です。
この映画は日本映画界の巨匠である山田洋次監督(89歳)の89作目の作品であり、松竹映画100周年のメモリアル映画でした。
この物語は、原作者 原田マハさんの実父をモデルにした作品。80歳を越えてもギャンプル依存症で借金漬けのどうしようもない父親。でも無類の映画好きで、その純度100%の映画愛によって、壊れかけた家族が救われるという奇跡の物語です。
原田さんは7歳の頃に父親に初めて映画館に連れて行かれました。「面白い映画に連れて行ってやろう」というので、アニメを想像して喜んでついて行った原田さんが観せられたその映画は何と「男はつらいよ」でした。
「えっ、何?この変なおじさん・・・」というのが最初の印象でしたが、スクリーンに「終」の文字が浮かび上がるまで、夢中になって観ていたそうです。
その後、仕事をサボっては映画館に入り浸っていた父親から映才(?)教育を受けた彼女は、学生時代には映画館のモギリ嬢のアルバイトで同じ映画を何度も観ることに・・・。結果的に後年、父親が勧めてくれた映画のあれこれが原田さんの小説家人生の基盤となり、彩りを添えてくれようとは、その時は知る由もありませんでした。
そんな原田さん、小説家になってすぐにこの作品を書きながら、心の中にある願い事が浮かび上がってきました。
「この小説がいつか映画になったらすごいなぁ~。できれば、いや絶対に山田洋次監督に撮ってもらいたいなぁ~」。もう彼女の脳内のスクリーンには「キネマの神様」のタイトルが画面いっぱいに映し出され、最後の「終」のスクリーンと共に万雷の拍手と喜びが会場いっぱいに満ち溢れる・・・そんな妄想が彼女の中で渦巻いていました。
完成した小説はとても好評で、映画化の話も何度か舞い込んできたのですが、やはり、今もって映画を作り続けていらっしゃる山田洋次監督こそが彼女にとっての「キネマの神様」であって、他の誰でもありませんでした。
そんな片思いを寄せながら時が過ぎ、2016年に最愛にして最憎?の父を90歳で亡くした翌年、原田さんは雑誌の対談で偶然にも山田監督とお目にかかるチャンスを得ました。そして、思い切ってこう伝えようと心に決めました。「『キネマの神様』という本を書きました。よろしければお読みいただけませんか。そしてもし面白いと感じてくださったら、映画にしていただけませんでしょうか」。

事実は小説より奇なり。長年の妄想が現実になった映画が「キネマの神様」でした。

対談の当日、「上手く伝えられるだろうか?興味を持ってもらえるだろうか?」彼女はそんな純粋な思いを胸に父親の遺影に手を合わせ、いざ出陣。
お会いすると山田監督はとても気さくで、温かなお人柄の方でした。慈味溢れる人生を描き、人情深い映画を無数に撮ってこられた伝説の監督との語らいは、時を忘れ、何度も笑い、何度も泣きそうになって、それはいつしか父親と話しているような気持ちになっていました。そして、亡きお父さんに背中を押されるかのように、長年の妄想であった願い事を口にしました。
「『キネマの神様』という小説を書いたのですが・・・」。すると最後まで言わないうちに監督が「読みましたよ。それでね、ちょっとアイデアがあるんだけど。もしも僕があの小説を映画にするなら、こんなエンディングにしたいんだ」。そんな奇跡のような監督からの言葉をもらって、原田さんは心の中で父親にこう呟きました。「お父さん、私、担がれてないよね?」。
事実は小説より奇なり。まさに長年の妄想が現実になった映画が「キネマの神様」でした。

「人と人がつながれない今だから、 あなたのことを思います」

2019年の年初、それはどんな映画になっていくのか。その始まりにもなる山田組の脚本合宿に参加された原田さんは、丸一日かけて家族にも話したことのないお父さんの様々なエピソードを山田監督に話しました。
映画の世界の扉を開いてくれた父親の話を、映画そのものの楽しさや面白さを幼少の自分に目覚めさせてくれた山田監督に話している情景はまるで夢のようでした。それと同時に、人の心にしみじみと問いかける山田作品の数々の名作が、こうやって初めの一歩を踏み出されるのだと知って、深い感動を覚えたそうです。
原作者の心や意図を深く汲みながら、監督の構想が練り上げられ、素晴らしい脚本が出来上がっていく・・・。そう感じた原田さんは、脚本には一切口出ししないと申し出ました。
その後7~8ヶ月経って、パリにいた原田さんのもとに脚本の初稿が届き、読み終えた頃には、ずっと涙が止まらないくらい感動に包まれたといいます。
脚本は原作とは別物といっていいくらい違っていましたが、原作に対する深い読解と敬意、創造力で、監督が心を込めて完璧に自分自身のものにされている・・・。原田さんは、すぐに松竹のプロデューサーに伝えたそうです。「これこそが山田洋次監督の『キネマの神様』です」と。

ここでは映画のあらすじや詳細は割愛しますが、古き良き時代、映画づくりの職人達が「面白い映画をつくるんだ!」という夢のもと、撮影所に集う若者達の汗と涙と人情の話で、その後の各々の人生の紆余曲折に映画や脚本が深く関わってくるという奇跡の物語です。
その中には、大船撮影所で揉まれ青春を過ごした山田監督の撮影所やその仲間達、そして映画そのものに対する深い敬意と愛と感謝が純度100%で描かれています。まさに文化の極みの芸術作品だと思います。
無類の映画好きの志村けんさんが、どうしようもないアル中、借金まみれの父親だけど、映画作りによって輝き、挫折し、そして最期には助けられ、人生の本懐を遂げる主役をやり切りたかったことは、本当に無念ながらもよくわかります。

そんな彼の純な想いと対比されるリスクを一身に背負いながら、昔ながらの旧友で仲の良かった沢田研二さんが見事に代役を演じ切られています。
そして、役者達の熱演、監督の想いを一番喜んでいるのが、志村けんさんだと思います。
沢山の人の心が紡がれたこの作品に込められた想いとは・・・
「あなたがいたから私でいられた。人と人がつながれない今だから、あなたのことを思います」。

合掌

Guts

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