何だかなぁ~

何だかなぁ~

ほっとメッセージ

依存?!
“無限?の記憶脳”はすっかり退化の一途をたどって・・・。

こんにちは。お元気でいらっしゃいますか?

今回は、とりとめもない「何だかなぁ~」というお話をします。

先日、タクシーに乗って、知人と携帯電話で話し込み、降りてしばらくしてから携帯をタクシーに置き忘れたことに気がつきました。

「あ~、やってしまったぁ~」と思わず声をあげてしまいましたが、次の人との待ち合わせの時間も迫っており、また待ち合わせ場所の詳細も直前に電話かメールでやりとりして決めるということになっていましたので、余計にあせっていました。

とにかく、タクシー会社に置き忘れの確認をすると同時に、待ち合わせの人に、たぶん約束の時間に間に合わないことと、待ち合わせ場所の確認をするために、その友人のことを知っている嫁さんに公衆電話で連絡しなければ・・・と思い、あちこち探しましたが、なかなか公衆電話が見つかりません。

日頃から公衆電話がもはや“絶滅危惧種”になっていることは薄々知ってはいたものの、こんなふうに、その存在の有り難さや大切さを身にしみることはなかったと思います。

ようやく必死で公衆電話を探しあて、嫁さんの携帯番号をダイヤルしようとしたところ、今度はその下5ケタがなかなか思い出せません。

あせりとイライラと呼吸が上がっていたのと、覚えていたつもりで実は“うっすら記憶”だった不安さで、間違い電話をすること3回。

もう、申し訳なさで一杯で、間違い電話の非礼を詫び、ようやく4回目で嫁さんにつながることができました。

事の詳細を何とか伝え、嫁さんから先方に伝えてもらい、待ち合わせの件も確認してもらって、それほど遅れることなく大事には至りませんでしたが、自己嫌悪と反省と疲労で、もうぐったりして、友人にもとても心配されました。

「あ~、何だかなぁ~」という話ですが、いかに自分が携帯電話に頼りきっているのかが、嫌というほど分かりました。

と同時に、知っていたつもりの嫁さんの携帯番号や、ほとんど覚えていない娘や近い友人の携帯番号は、しっかり記憶しておくかメモに書いて、財布や手帳には入れておくべきだとつくづく自戒しました。

そういえば、携帯電話がない頃は、親戚や友人、知人の電話番号を10~20くらい楽勝で覚えていたものですが、どっぷりと携帯の登録に依存しきっている昨今では、その“無限?の記憶脳”もすっかり使うことなく退化の一途をたどっている・・・。

文明の利器は、猛スピードで進化、変化しているにも関わらず、それらと反比例するように、ある能(脳)力は急速に衰え、退化していく・・・。

幸い、携帯電話はタクシーの中で見つかり、翌日急いで遠くにあったタクシー会社までなんとか取りに行きましたが、もちろんバッテリー切れで、すぐにメールや電話の通知も確認できず、赤ランプで「要充電」になっていた表示を見るにつけ、自業自得とはいえ、何だかむなしくなってきました。

ある意味、全てに近い情報が詰まっていて、もう日常生活にこれなくしては、何もできなくなってしまっている・・・。

もちろん甚だ被害妄想ではありますが、そんな気持ちにさえなってきました。

私達の世代が持ち併せてこなかった、鋭く、たくましく、
柔軟性に富んだ能(脳)力が育ってきているのだと思います。

50代の超アナログ人間で、携帯は、簡単メールと電話と若干のフェイスブックとヤフーニュースを見る程度の私でさえそうならば、目覚ましも携帯、時計も携帯、普段の日常会話は無料の「ライン」で済ませ、たくさんのアプリやゲームを使いこなし、地図も漢字も歴史も様々な調べ事なども全て携帯ひとつで解決するほど依存している最近の若い人達は、「本当に大丈夫かなぁ~」と思うことも多々あります。

が、それは50のオッチャンの杞憂であって、根性を出して漢字を覚え、四字熟語を書き、分からない字、言葉、英語の綴りは国語、漢和、英和辞典が手垢にまみれてボロボロになるまで何度も引いて覚えていった世代とは、その感性も経験も歴史も全く違います。

それゆえ、私のような自己嫌悪に陥るセンサーも極めて少なく、逆に今は、この携帯をそれこそ手垢がつくくらいボロボロになるまで使いこなし、そこから連想、想像、つなぎ合わせられる創造力や表現や発信力などといった私達の世代が持ち併せてこなかった、鋭く、たくましく、柔軟性に富んだ能(脳)力が養われ、育ってきているのだと思います。

まさに、アイフォンの産みの親、スティーブ・ジョブズさんが夢に見た“次世代の獅子達”が、この電子ツールによって世の中を幸せに、豊かにしていこうとしている・・・。

私たち大人が、協力、協調し合って、ネット社会の
闇の解放、浄化、減少させていかないと・・・。

もちろん、全てに光もあれば陰もあります。ネットに依存し、タコ壺化して、リアルな人間同士の触れ合いやコミュニケーション能力に欠ける、またそういう経験が少ないので人の本当の痛みや表情を読み取れない。

メールなどの「言葉」だけは達者になり、平気で人を傷つける言葉を書きなぐるなど、今のネット社会にあふれる様々な問題点は、文明が進化し、便利に豊かになった分、やはり反比例して闇も深くなっているのは、ある意味避けて通れないことなのかもしれません。

その闇の部分を、アナログ的で地に足のついた色々な経験や知恵、懐の深さを持つ40代以上の大人が、それこそ協力、協調し合って、解放、浄化、減少させていかないといけないのだと思います。

文明の利器が進化し、社会のインフラやシステムが、時代の急速な変化に伴い急ピッチで変わっていけばいくほど、この世代間の融合やデジタルとアナログ、バーチャルとリアルの融合や統合が、とても重要かつ求められてくるのだと思います。

50のオッチャンの私も、携帯を置き忘れたくらいで落ち込んだり被害妄想にならず、進化と成熟で折り合いをつけながら、世の中を豊かに幸せにしていくために、まだまだやることはいっぱいあるやろ・・・。

そんなメッセージを、松下幸之助さんとスティーブ・ジョブズさんが肩を組んで、天から私達を叱咤激励しながら発してくれている・・・。

「何だかなぁ~」という携帯置き忘れ事件から、そんな、とりとめもないことを気づかせていただきました。

これが、生きた“勉強?”なんですね。(^ ^)

合掌

Guts

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