自分が立っているところこそ、いつもそこは地球のど真ん中だったのだ。
1962年、私は高度経済成長期のど真ん中に生を受けた。
戦後日本の経済成長は「東洋の奇跡」と言われ、68年には世界第2位の経済大国に。東京五輪、大阪万博が開催され、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の三種の神器は急速に家庭に普及。テレビでは、時の社会風潮を反映するかのように、「大きいことはいいことだ」のCMが流れていた。
日本人は、GHQの3S占領政策(スクリーン、スポーツ、セックス)で見事に洗脳されてしまったのだ。
かく言う私も、故郷・阿蘇小国町の名前を「小さい国」と貧相に感じていた。「井の中の蛙大海を知らず」になりたくないと、大都市東京、そして大国アメリカへ、阿蘇の田舎者は、「大きな世界」に自由という名の青い鳥を求めた。
しかし、故郷・日本を遠く離れて気づいたことは、日本食、日本語、東洋医学、東洋哲学の素晴らしさだった。
そして、その後、欧州を2ヶ月無銭旅行してわかったことは、「投げたものが帰ってくる」というシンプルな宇宙法則であった。
今、私は若いころ嫌いだった我が故郷「小国」の名を誇らしく感じている。
急速にグローバル化していく現代社会において、巨大で強力な経済力を持つ一握りのものが日々弱いものを駆逐し、そのツケとして人と人の心のつながりがバラバラに分断されていっている。
これからの時代はスモール、シンプル、スローの3Sがキーワードだ。
健康と環境に大きな負荷を与える巨大サイクルでなく、顔の見える範囲での地域循環型こそ持続可能な社会への鍵だと感じている。
タオイズムの古典「老子」にも、「小国寡民〜国は小さくあるべし、民は少なくあるべし」とある。私は、我が故郷「小国」の名を、 “スモール・イズ・ビューティフル”のコミュニティを象徴した“素”的な名前だと感じるようになってきた。
私の追い求めていた「幸福の青い鳥」は足元の故郷にいた。
いや、たとえ場所がどこであれ、自分が立っているところこそ、いつもそこは地球のど真ん中だったのだ。