博多の歴女 白駒妃登美さん

博多の歴女 白駒妃登美さん

竹布やゆの里のお水、そして糀ドリンクなどプロ・アクティブの商品のご愛用者でもある白駒さん。歴史講座を中心に全国を駆け回りつつ、執筆活動にも励み、現在はテレビ出演もなさっています。
独自の視点で語る歴史講座は「こんな先生に歴史を習いたかった」と感動で涙する人続出の人気ぶりなのだそう。

4月からの『ほっとメッセージ』への連載を前に、白駒さんが今、ご自身の体験を通して、日本人に何を伝えたいのか?ガールズトークも交えながらスタッフほーりー(堀場)がインタビューしてきました

堀場:講演や執筆活動のほか、最近ではテレビ出演も増えているとか・・・。
ご活躍の幅が広がっていますが、これからはさらにどんなことをなさっていきたいと思っていますか?

白駒:私、3年前、がんの再発の告知を受けて、死を覚悟したんですね。本当はあの時で人生終わっていたはずなんです。だから、それからの人生は生かされているというか、残りの人生は自分がこれをしたいという人生じゃない生き方にしなくちゃいけないと思っています。
とにかく人に喜んでもらえること、人に頼まれたこととか、もちろん自分にできないことはできないし、やりたくないことはしないけれど、自分の好きなことと、できることと人が喜んでくれることとの接点の中であれば、なんでもやっていこうと。

今、よく「あなたのやりたいことをやりなさい」っていろんな講師の方が言うじゃないですか。
でも私、やりたいことだけを考えていても、実は使命とか天命とは出会えないんじゃないかなと思っているんですね。
やりたいこと、好きなこと。
できることと自分の得手不得手、向き不向き。
そして人が喜んでくれること。
この三つの円の重なったところがその人の役割になるんじゃないかと思っています。

私の場合はただの歴史好きだったのが、気がついたら本を出すことになっていて、講演をすることになっていて・・・。なんだか数年前の自分からしたら思いもよらない人生になっているんですね。
自分から本を出したいとか講演をしたいと思ったわけじゃなくて、本当に信頼する人からこれをやってみたら、とかこれをやってほしいということに素直に従っていたら、今があるという感じです。

夢をもつのがもったいない!?

白駒:昔、アメリカ型の成功哲学でガンガンに頑張っていた頃は夢は全部叶うと思っていたし、実際夢は叶ったけれど、夢しか叶わなかったんですね。
最高の人生が、夢が叶うことだったんですが、その夢を手放したら、以前夢として思い描いていたものを超えた、もっと素敵な人生がやってくることになって・・・。その醍醐味を知ったら夢をもつのがもったいないなと思うようになったんです。

もちろん夢をもつこと、それを否定するつもりはないんです。夢がある人はそれに向かって頑張っていただいて。
でも夢をもたなくちゃいけないと思っている人、そういうのがないといけないと人間失格みたいに思ってしまったりする人も多いですよね。でも、決してそうではないな思うんですよ。
夢があるのも素敵だけど、夢がないから何に対しても頑張らないというのがかっこ悪いだけで、夢はないけれど毎日できることを一生懸命やっていたら、素敵な人生じゃないですか。でもそうやっていたら、必ず扉が開いていくんですよね。

あの国民的アイドルも・・・

白駒:私は知る人ぞ、知る嵐のファンなんですけどね。
今あれだけの国民的アイドルの嵐のメンバーがね。自分でジャニーズに履歴書を送ったという人は、たぶん一人か二人。松潤は自分で送ったらしいんですね。で、相葉くんがおもしろくってね、当時彼はバスケットをやっていて、SMAPとバスケットができるという企画があって、それに応募したって。でも後の3人は違うの。桜井君は中学校のクラスメートに「お前応募してみろよ」って言われて、「うん?それも面白いじゃん、一度応募してみるか」って感じで応募して。
ニノと大野君はたぶん家族なんですね。たぶん母親なんですけれど、「募するよ」って言われた時「え、そんなのやめてくれ」って言ったらお母さんが「あんたが受かる訳ないじゃん」って!(笑)
ニノなんて、オーディションの通知が来た時「行きたくない」って言ったら「5000円上げるから行きなさい」って。(笑)
それが、今は「嵐」。
だから必ずしも「これが夢でした」っていう夢に向かって頑張っている人だけが輝いているんじゃないなと。天命に運ばれるっていう人もきっといるんですよね。

堀場:天命に運ばれる人になるためにはどうすればいいのでしょう?

白駒:自分に与えられた環境をまず受け入れることだと思うんですよ。感謝して。
天から与えられるものって環境とご縁があると思うんですよ。環境を受け入れて感謝して、ご縁をいただいた方々のために精一杯なことをやっていると道が開ける気がするんですよね。

私は意外に見られるけれど、もともと、自分に自信がない人なんですよね。自分で自分のことを信じるってすごく苦手なんですけれど、でも、周りの人たちのことが大好きで、この人たちがこんなに私のことを応援してくれるんだから、こんなに私のこと好きでいてくれるんだから、だから私は大丈夫っていう自信はあるんですね。

大好きな人、支えてくださっている方の中に、例えば江戸しぐさの越川禮子先生とかイエローハットの創立者の鍵山秀三郎先生とかいらっしゃるんですけれど、この間、ある人に聞かれたんですよ。
「普通は憧れている人に会えただけですごいのに、白駒さんがその憧れの人に応援してもらうようになったのはなぜなんですか?」「何が周りの人と違うんですか?」って。
最初よくわからなくて、「考えておきますね」って言ってたんですが、なんとなく最近答えが分かってきたんです。それは、実績とかじゃないと思うんですよね。実績があるとか肩書がどうのじゃなくて、なんとなくなんですけれど・・・。
「私(わたくし)」に生きている人って応援してもらえないと思うんですよね。

「公(おおやけ)」。
公と言っても別に世界のためにとか日本のためにっていうおおげさなのじゃなくて、いわゆる自分にとっての世間、いわゆる自分にご縁のある人たちにとってという「公」。「公」のためにって、そういう生きかたをしている人がすごく応援されているって、気が付いてきたんですよね。

でも当然人間なので自分がかわいいし、「自分が自分が」って気持は誰にでもあるじゃないですか。それが全くなくなったら私は人間ではないと思っているので、ただ、それを薄くすることはできると思うんですよね。でも多くの人が「自分が自分が」が、ほとんどだと思うんですよ。でもそうじゃなくて、心のどこかに自分が大好きな人のためにっていうのがちょっとずつちょっとずつそのスペースが大きくなっていくと、すごく応援されていくんだなっていうのは実感していますね。

田沼意次も平清盛だって・・・

白駒:歴史上の人物達もそうだったんじゃないかなと思うんですよ。坂本龍馬とか西郷隆盛とかって信じられないくらい周りの人に信頼され、応援されるわけじゃないですか。やっぱり、彼らは「自分が自分が」っていうのが薄いですよね。

「何をやりたいのか?」という質問の答えではないですけれど、私、漠然と思うのですが、昔から私
これがしたいというのはなかなか見つからないタイプなんですけれど、イメージは結構あって。
今もっているイメージでは、私その、本を出版させていただくにあたって日本のいろんな歴史のエピソードともう一度向き合ってきて思うのが、結果的にこの人がやってきたことがこんなに悪影響を与えたとか、この人がやったことでみんなが迷惑をしたっていうのは、結果論としてはあるんですけれど、でも、その人が悪い世の中にしようと思っていたとか、人々を搾取しようと思っていたかというと、そういう日本人って本当に少なかったと思うんですよね。割と西洋には多いでしょ。庶民をしいたげて苦しめてでも自分だけは贅沢を尽くすという人が。でも、日本人の中にはそこまでの人はいないんですよ。田沼意次とか平清盛とかが悪く言われるくらいで、彼らだって、西洋の人たちからしてみたら全然じゃないですか。彼らがその時日本を悪くしようと思ってそういうことをしたんじゃなくて、彼らなりに日本をよくしようと思ってしたわけですよね。ただ結果的に駄目だっただけで。
そうすると、歴史って事実関係だけを追っていくと、この人は好き、嫌いってなるんですけど、その時に生きていた人の想いっていうのを想像すると、みんな好きになるんです。

そうすると伊勢の中山緑さんがおっしゃっていた「深く知ることは愛することへの道」っていうのが本当にそうで、表面だけ見ていると「あぁ、この人だめ」ってなるんですけれど、その人の心の奥深くを知ると、大好きにならないまでも許せるようになるっていうか。
私はそういうことを経験した時にこの日本っていう国はなんていい国なんだろうと思ったんですね。この国に生まれ育ったっていうことが実はすごいご褒美だったんだなって思うんです。

日本全国がパワースポットになるといい

白駒:それ以前はパワースポット巡りが大好きで、しょっちゅう、あそこがパワースポットだと聞き出して、その土地のエネルギー下さいってやってたんですけど、そのことに気が付いたらどこに行かなくてもこの国に生まれ育ったということは、この国全体がパワースポットで、この国に生まれ育った私がパワースポットなんだと思うようになったんですよね。

もしかして日本中の人たちがそういう風に思えるようになったら日本がパワースポットになっていく。自分が生まれ育った土地に愛着と誇りを感じたら、そこがパワースポットになっていきますよね。
で、「エネルギーください」ってやってたらパワースポットが枯れちゃう。(笑)

日本全国がパワースポットになればいいなと思っていて、そういうイメージだけはあるんですね。
だからそれにつながるようなことであれば、チャンスがあればなんでもやっていきたいなと思っているんですよね。

「誓約(うけい)」~エレベーターで瞬間移動する~

白駒:アメリカ型の成功哲学を追求してい時には、この目標に対してどうやろうってすごい考えた訳で
すよ。道筋を。
でも3年前にそういう生き方を手放して、日本人らしい自分に戻ったら一切それがなくなって、イメージだけはあるんです。
いつも神社に行った時、何かしたいこれがしたいと具体的なことがある時は、神社で「神さま、私はこれがしたいと思っています。そのことによって何か世の中のお役に立てるのであればどうぞ道を開いてください」っていうんですね。でも、それを私がしたところで誰も喜んでくれなくて私ひとりだけが嬉しいんであれば、それは叶わなくて結構ですって天に委ねちゃうんですね。そうすると神様はびっくりする道筋を用意していてくれていて・・。
今までの自分の経験上、我が強くてこれがしたいと思ったことは結構叶わないんですよ。我が薄くてこういうことしたいって思ったことは結構叶っていて、それが想いもよらないところから叶っていくというのかな。自力でやってた頃は叶ってたんですよ、そのアメリカ型の成功哲学に基づいて。自力でやるのって恐ろしく大変なんですよ。ものすごいエネルギーが必要で、毎日ふーふーー言いながらお尻に鞭打って、それでもがんばっていたんですけれど。
天に委ねる、これ「誓約(うけい)」っていうらしんです。誓うに約束の約。あと祈るという文字人も慈でも「うけい」と読ませたりして。
日本人が古来からやっていた占いの一種みたいなもので、要はだから、そのさっき言っていたこれが世の中の役にたつなら叶えてください、そうじゃないならいいいです、みたいな。
この日本人が昔からやっていた、これをやるようになってから、本当に叶う時には、昔アメリカ型の成功哲学をやっていた時には、下りのエスカレーターを必死で上って、上りきるまでがんばらないとって言う感じだったんですけど、今は人のために思って頑張り始めたら、エスカレーターが上りになったなとは思ったんですけど、その「誓約」を始めてからは「あ、エレベーターで瞬間移動してる」っていう感覚なんですよね。

この間北川やすしさんとコラボ講演した時、この「誓約」というのを教えてくださったんですけど、それを聞いた時、あー、私と同じだって思って、「誓約」って言うのか~って。

神さまの幸せを願う!?

白駒:よく神社に行ったらお願いをしちゃだめだって言いますでしょ。感謝をしましょうって。でもある時私思ったんですね。感謝って目茶苦茶、我が強いなって。「自分が自分が」っていう気持ちがあるから「ありがとう」ってなるんですよね。ある時、感謝も違うなって思ったんですね。
じゃ、私は神社で何を伝えればいいんだろうって思ったら、そうだ、私は神様の幸せを願おうって思って。(笑)

でもね、神様が幸せになりますようにだと、今神様が不幸みたいじゃないですか。これもおかしいと思って。私は「神様の幸せをお喜び申し上げます」っていうようにしたんですね。
たいていは神社の名前を言って、たとえば愛宕神社に行ったら「私は愛宕神社のご繁栄を心からお喜び申し上げます」って。伊勢神宮だけは日本全体の神社だから「日本の繁栄を心よりお喜び申し上げます」っていうようにして。その後にやりたいことがあれば、「誓約」なんですね。やりたいことが特別ない時は、「神様、私がもし神様の(私は神様は存在していると思っているんですけれど、けれども体は存在していないと、だから)神様がもし私の体を使っておやりになりたいことがあったらなんなりと私にお申し付けください。喜んでそれをさせていただきます」って言うようにしているんですね。

そうすると、ちょっと前までは「頼まれごとは試されごと」っていう言葉ありますよね。だから頼まれたことはなんでもやらなきゃって思ってたら、だんだん、だんだん自分の時間がなくなっていって、笑顔がなくなっていったんですよね。それでもやらなきゃいけないと思っていたんですけれど、「神様、私の体を使ってやりたいことをどうぞ」って言い始めたら、頼まれごとが「きっとこれが神様が私の体を使ってなさりたいことなんだ」と思ったら、すごい笑顔でできるようになったんですよ。
「なんで私がこんなめんどくさいことを」っていうふうにあんまり思わないようになってきたんですよね。
でも毎日そんな気持ちで過ごせていたらいいんですけれどね、私もいろいろ、もともと「我」がありますからね、たまに神社に行って元に戻る。月に一回くらいは神社へ行って原点に戻ろうってしています。
それは人によって神社じゃなくてもお寺でも、自分が落ち着くところでいいと思うんですけれどね。

堀場:3年前の病気の再発以来、何か死生観の変化はありますか?

白駒:生かされる意味があるから生かされているというのは確かに感謝なんですが、死ぬということが全然恐怖じゃなくて、嫌なことでもなくて、「よくがんばったね」って言われるんだろうなって。
日本人ってもともと一神教じゃないから。一神教だとどうしてもこれが正しくて他は間違っている
とすべて振り分けるんですよね。でも日本人って八百万の神を信じているので生きてることがよくて死がだめとか、健康がよくて病気がだめとか、あとは常に成長してなくちゃいけないじゃなくて、すべてを受け入れるだけの優しさとか強さ、おおらかさ、潔さをもってた民族だと思うんですよね。
今、私達が貧乏を恐れたり、死を恐れたりするっていうのは妙に西洋的な考え方が浸透してきちゃったからじゃないかなと思って。
もともとの日本人に立ち返ると どんなことも受け入れられる。そんな予感はしているんですよね。まだそんなにばしっと「いつ死がきてもだいじょうぶよ」とはもしかしたら言い切れないかもしれないけど、でもそういう自分にちょっとずつ向かっているなという実感はあります。

「かっこいい自分」と「かわいい自分」

白駒:この前フェイスブックで妙に反響が大きかった記事があるんですけれどね、それは「今日、これをしなくちゃいけない」っていうことがあってね、でもそういう日に限って読書のススメで買った本が今日届いて、「あぁどうしよう、これもしなくちゃいけないのに、本も読みたい」って。「あ、でもダメ。私やっぱり眠いから寝ます」みたいな。そういう記事を書いたんですよね。

昔の自分はね、その寝ちゃおうという自分をすごく責めていたんですよね。だめな自分、いけてない自分って。でも病気をきっかけにどんな自分も自分なんだなって認められるようになって、それ以来、私、ちゃんとできる自分は、かっこいいじゃんって思うんですけれど、できない自分、ついつい明日にのばしちゃってもう寝ようっていう自分はかわいい~って。(笑)
かっこいい自分もいいし、かわいい自分もいいじゃないですか。
そう思ったら、自分とうまく付き合えるようになったという記事を書いたら、なんだかすごく共感してもらって「いいね」がたくさんだったんですよね。

堀場:あ、それ、私も「いいね」しました!(笑)
今日は、とても素敵なお話、ありがとうございました。楽しかったです!

2013年2月、雪の舞う博多の街のカフェでのインタビュー。
この時、新刊の執筆の追いこみ真っただ中で睡眠時間3時間というような日々だった白駒さん。
超多忙なのに、お肌も全然くすみもなくつやっつや。
その秘密は「神秘の水夢」のミルフィーユ作戦にあり!と教えていただきました。

この日の素敵なワンピースの下には竹布の癒布のフレンチスリーブのインナーを着てくださっていました。
和服をお召になる機会も多い白駒さん。袖口から下着が見えず、襟ぐりが開いているフレンチスリーブがお気に入り。
雪の舞うような博多の寒い冬もこの癒布はあったかい~とヘビーユースのインナーとなっているそうです。

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