大人になって大切になる人間磨きは、やんちゃ坊主の遊びの中で。
暑中お見舞い申し上げます。
暑い日が続きますが、夏バテ、夏風邪は大丈夫ですか?
先日、朝の6時半くらいに井の頭公園を自転車で走っていたら、懐かしい曲が聞こえてきました。「ラジオ体操第一!」「あた~らしいあ~さがきた、き~ぼ~うのあ~さ~だ」。 何とも懐かしく、ほっこりするそのメロディーにしばし自転車を停めて聴き入っていました。
体操しているのは70代のシニア世代の方々でしたが、公園の緑に囲まれ、とても活々と楽しそうでした。「まだこんな習慣が残ってたんだぁ~」「メッチャ昭和な感じやけど、やっぱりラジオ体操はいいなぁ」と何とも嬉しく、心が洗われる気持ちになりました。小学校の頃、早起きしてラジオ体操に出て、出欠カードにスタンプを押してもらうのがとても楽しみで嬉しかったことが走馬灯のように思い出されて、夏休みの象徴的な一日が断片的に蘇ってきました。
朝、眠い目をこすって体操して、スタンプを押してもらって、見せ合いっこして、自慢し合った後は一旦家に帰って腹ごしらえ。セミの声がうるさくなる頃また集まって、ビー玉遊びやベッタン(メンコ)遊びで勝った負けたの大はしゃぎ。飽きたら次は「探偵ごっこ」の始まり始まり~。団地住まいのやんちゃ坊主達は所狭しと動き回り、逃げて隠れて追っかけて・・・あっという間に昼になり、おかあちゃん達の「ごはんだから帰っておいで」コールでごはんタイム。友達も一緒に家に寄って、おかあちゃんの手製のそうめんをズルズル食べて「おかわり~」のし合いっこ。ごはんを食べて束の間、それが土曜日なら「吉本新喜劇」が始まる時間。腹を抱えて笑った後は、今度は探検隊と化し、皆で近くの川辺で秘密の基地づくりが始まります。
穴を掘ったり、大きな石を積んだり、流木を運んで組み上げたり・・・子供心にワクワクドキドキのサバイバル気分で、出来上がった基地は宝物のような秘密のアジト。親にも他の友達にも内緒の秘密基地をつくり合った仲間が固い友情で結ばれていったことは間違いありません。
チームワークや絆、信頼や勇気、助け合いや役割分担など、大人になって大切になる人間磨きは、こんなところから芽生えていったような気がします。
基地づくりから帰ると夕方になっていて、地蔵盆で紙芝居やポン菓子づくりなど楽しいイベントが盛り沢山。大阪らしい河内音頭が流れてくると大人に交じって夢中で踊り、夕ご飯は屋台のイカ焼き、焼きそばでお腹いっぱい。笑みいっぱい。そんな祭り文化が毎年楽しみでした。最後は団地の共同風呂で素もぐりをしたり、水をかけ合ったり。その場その場を遊び場にしてしまう子供の自由さ、創造力、エネルギーは本当に凄いですね。ひとっ風呂浴びてビールさながら屋台のラムネで締めくくり、家に帰ればバタンキュー。そんな夏の一日が団地住まいのやんちゃ坊主達の共通の一日でした。
温かく、楽しく豊かだった昭和の時代。一人一人に、夢や遊び心、人情や礼節のようなものがあった気がします。
環境や場所は違えども、同じ世代の50~60代の方々は、同じような遊びや空気感の中で子供時代を過ごして大人になられたのではないでしょうか。そんな「メッチャ昭和な文化」が、今とても大切なような気がしてなりません。
私の幼少時代の遊びや楽しみ事の中には、自然環境や昔ながらのローカルでほのぼのとした文化やイベントがいっぱい残っていました。さらに団地や長屋、小さな町内会の親戚づき合いのようなコミュニティーも残っていて、リアルな人とのふれあいや感情やエネルギー、価値観の共有など、血の通ったコミュニケーションがいっぱい交わされていました。
今ほどお金も物も情報も足りていなかったアナログ時代にも関わらず、当時の方がストレスもなく、心が通い合い、ちょっとしたことで泣いたり笑ったり、感動したり、助け合ったりなど、温かく、楽しく豊かだったような気がしてなりません。
そして、一人一人に、もっと夢や遊び心、人情や礼節のようなものがあった気がします。
亡き西城秀樹さんや樹木希林さんが出ていたテレビ番組「寺内貫太郎一家」で泣き笑いし、「前略おふくろ様」のショーケンこと萩原健一さんの不器用な板前役に自分の姿と成長を重ね合わせて、人情の機敏に感動した思い出は心の中にずっと刻まれているから、彼らが亡くなった時に多くの人が深い悲しみと喪失感を覚えたのは自然なことだと思います。
器量と才能に溢れた名脚本家の倉本聰さんのような“素敵な大人”がいっぱいいて、私達の世代はそんな大人の方々に支えられ、見守られて、大人になったのだと思います。
昭和から学べる「和」を思い出して、素敵な大人であふれた令和な世の中を。
ところが、この時代になって、本当に“素敵な大人”になれているのか?もしかすると表面的で余裕がなく、情も思慮も浅くなった不健康な大人になっていないか?と不安に駆られることがあります。大切な用件も会うことなくメールで済ませ、何事もネットで手早く調べて、表層的な情報で判断・・・いつの間にはそんな習慣が当たり前となり、家族や職場での挨拶さえもスマホでというのが不自然ではなくなりつつある現代。続々とメールやラインが届き、ネットニュースやSNSで次々と情報が更新されていくので、スマホから目や手が離せない・・・。リアルなコミュニケーションから遠ざかって孤立し、情報に振り回されて心に余裕がなく、自らの発信と返信で頭はいつもグルグル。ぐっすり眠れないから、心身ともに慢性疲労でぐったりしている・・・。実際そんな大人が増えているのも事実です。
もちろん、情報の技術革新はありがたく、いいことがたくさんあります。でも、素敵な大人にならないといけない私達が、夢や遊び心や人情、礼節などを忘れていったり、時代の変化や波に上書きされて、大切な何かがかき消されていけば、後世を支えてくれる素敵な子供達は育っていきませんし、社会がますます孤立化し、荒んで、生きにくくなっていきます。
時代の変化の中で、適応しながら変わっていくべきものと、変えてはいけないものがあるとしたら、「昭和的な文化、生き方、空気感」の中に、その答えがあるように思えます。
昭和から令和へ。共通する一文字は「和」ですが、昭和から学べる「和」を、もう一度思い出して、清々しく、温かく、素敵な大人であふれた令和な世の中を、子供達のためにも創っていかないと・・・。
ラジオ体操の懐かしい音を聴きながら、そんな温故創新的な生き方が大切じゃないかと思った夏のひとときでした。素敵な大人を目指して願晴り(がんばり)ましょう!
Guts