「俺って、骨太やないなぁ~」。
時代の変化にのまれて。
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか?
時代の変化の激しい昨今ですが、その荒波に上手に乗れていらっしゃいますか?
さて唐突ですが、二年くらい前にある対談の中で、最近男性がトイレで小用を済ませる時に、自宅では立ってではなく、座って済ませる人が多くなっている・・・、という話をお聞きし、ビックリしたことがありました。
「ついに、日本男子もそこまで落ちたか」。
大げさではありますが、そんな感じでした。
それから時間が経ち、すっかりそんなことを忘れてしまっていた私に、娘が時々、「お父さん、トイレの便座がいつも上がっているから、もうちょっと一緒に暮らしている人の気持ちも考えて使ってよ・・・」。
そんなお小言を何度も言われ、女性に弱く、かつ面倒くさがりの私は、「それなら座って済ませたらいいんだな・・・」と単純に素直に思い、それからそうするようになりました。
トイレを汚さずに済み、座れてホッとするし、意外と楽である、娘と嫁さんに怒られなくて済むなど、この新しい習慣になじむうちに、様々なメリットを受け取っている自分に気づきました。
自分も良くて、まわりにもいいからこういった習慣が続いていくのだと思いますが、これって、生物学的、行動様式学的にみたら、進化しているの?
退化しているの?
男は黙って、立って小用を済ますという、脈々と受け継がれてきた男の行動形態を、この一年であまりにも変えてしまっている自分に気づき、思わず「俺って、骨太やないなぁ~」と、時代の変化にすっかりのまれている自分に驚きとため息と苦笑いが出てきました。
ここで少し話は変わりますが、私たちの会社のオリジナル米『元氣米』を作ってくださっている石川県の農の匠でもある長田竜太さん。彼は近くの小学校のPTA会長もされています。
そんな彼は、学校のトイレの改修工事にあたり、伝統的な和式トイレを絶対に残すべし・・・と言って、実際に大反対を押し切って、それを実現させた人物でもあります。
彼曰く、「小学生の時くらいに、和式トイレにしゃがんでしんどいながらも用を済ますという体験や習慣に触れていないと、まだあちこちで残っている和式トイレに対応できない人間に育ってしまう・・・それこそ教育上よくない。
和式トイレで鍛えられた脚力や姿勢が世の中で生きていくための力を産みだすのです」。
もうこの考えは脱帽としか言いようがありません。
さすが、“超骨太”のPTA会長、かつ現代の頑固おやじの長田さん。でもその裏には、厳しくも優しく、温かい人間愛がある・・・。
伝統的にやってきていることには意味があり、その時々で失ってはいけないものもいっぱいある。これを教えていくことが本当の教育であり、躾でもある・・・。
古臭いかもしれませんが、小学生くらいまでに身につけたことは、やはりとても大切ですね。
教えられてきた英知と体験から得た学びが“身知心”を磨き、
それが伝統となり、様式となり、習慣へとつながっていく。
今月は、そんな長田さんがつくられた新米を食べられるのですが、そのこだわりと愛情とエネルギーに満ちたお米の味はやはり格別です。
長田さんはかなり前から、小学校の授業に米栽培の実習も取り入れ、米づくりは土づくりや自然との対話や感謝から生まれるなどの話と共に、子供さんと一緒になって田植えをされて、その大切さを教えておられます。
その彼のユニークなところは、“食育”ではなく、“育食”の大切さを説くところです。
食べものを自分で育て、その過程で色々なことを体験し、気づき、知っていく・・・。
自然の素晴らしさや恐さ、生き物を育てる根気強さや愛情の大切さなど、育てている稲の成長と共に、自分も写し鏡の様に成長させてもらっている。
そして育てた稲が黄金の稲穂となって、一粒万倍のお米となり、体験から得た学びや愛情、エネルギーに満ち溢れたそのお米を食べることほど感動することはありません。
もちろん、手を合わせ、感謝しながら食べさせて頂く・・・。
幸せ一杯の気持ちで食べるごはん、おにぎりは格別です。
きっとこういった全ての体験の中に、教科書や単なる学問、知識では学び得ない“究極の学習、心の成長”があるのだと思います。
これは、現在の偏差値では測り得ない、人間力の偏差値に蓄積される“身心知”なんだと思います。
私達の先人達は恐らく、自然と調和、格闘しながら、体験を通じ、また代々口伝えで教えられてきた英知を通じて、この“身心知”を磨き合い、高め合い、より人間らしく活々と、豊かに生きることを身につけてきたのだと思います。
それらが伝統となり、様式となり、習慣へとつながってきているのだと思います。
様式や習慣は時代と共に変わりながらも、
変えてはいけない“本質”を受け継いでいく。
くしくもこの10月に、第62回の伊勢の式年遷宮が行われます。
1300年前から始まったこの大神事は、ほとんど途切れることなく20年に1度、その古代の様式を全く新しい社殿に造り替え、内宮・外宮の神々を迎え入れます。
この式年遷宮は総工費600億とも言われるまさに一大事業。お金だけで考えると、法隆寺の最高峰の木造建築技術を使えば、千年以上は造り替えずに済み、費用や労力、様々なエネルギーをかける必要もありませんでした。
ところが、何故そういったとてつもない、一見無駄のように思える造り替えを行うのか・・・。
そこには、20年に1度という区切りを設け、様々な分野での師から弟子を育て、その奥義や技術、感性やスピリットなどを受け継いでいく、まさしく“究極の身心知”の伝承がありました。
それは、植林であったり、建築であったり、工芸美術であったり、それに関わる様々な産業であったり、まさに先達の魂や誇り、真髄ともいえる絶対に変えてはいけないものの伝承です。
20年という世代交代が行われる自然の周期と共に、こういった“目に見えないけど最も大切なもの”が受け継がれていく・・・。
内宮・外宮の神様という、絶対不変の大いなる存在を中心に20年に1度、お社の新陳代謝を行いながら、最も大切な御魂(生命)を守り続けていく・・・。
大自然の真理さながらにできている、この日本の大神事は本当に見事としかいいようがありません。しかも、関わる全ての人々、事物を豊かにしていく・・・。日本が世界に誇るべき本当に凄い伝統ですね。
男性のトイレ然り、様式や習慣は体験や新たな気づきによって時代と共に変化していくもの。
でも、変えてはいけない本質(魂、真髄、技術、身心知)はしっかり受け継ぐ、古いけど新しい格好いい時代。
あ~、日本に生まれて良かった!
合掌
Guts