素敵な男(ひと)

素敵な男(ひと)

ほっとメッセージ

その人独特の純粋で美しい光や色が出て、何ともいえない輝きに。

こんにちは。お元気でいらっしゃいますか?

おかげ様で私達の会社は、この7月で23期目を終え、24年目を迎えることになります。その間、この「ほっとメッセージ」を書き続けていますが、いつも手書きの読みづらい象形文字の様な私の文章を添削し、変換し、校正してくれるスタッフが居続けてくれるおかげで、毎月穴をあけずに今日まで至っています。

この仕事は、創業当初に私の妻から始まって、現在の担当で多分5~6代目になると思います。社内では、この象形(ガッツ)文字が解読できれば一人前、という何とも申し訳のない伝統?があります。(苦笑)

大の苦手のPC入力、校正などの仕事を、きっちりとプロ顔負けに仕上げてくれる人がいつも居てくれるから、会社が上手くまわり、ここまで何とか健康体で維持成長できているのだとつくづく思います。

一人じゃ何もできないけど、一人一人の個性、才能、経験、知恵などを生かし、輝かせて、その一人一人の光の相乗の和(輪)が、エネルギーとなって、一人一人のお客様や社会の一隅を照らしているとしたら・・・。やはり一人一人が輝いて生きることって本当に大切なんだと思います。

「ほっとメッセージ」で先月号から連載がはじまった、私も大ファンの白駒妃登美さん(博多の歴女)の文章の中に、「素に敵わないから“素敵”。だから余計なプライドは捨てて、素の自分になって正直に生きましょう」というメッセージがありました。

なかなかできないことですが、本当にその通りだと思います。実は、私達の会社のコンセプトメッセージでもある『自然とつながり、自然に生きる』ということは、そういった意味も込められています。

素の自分という自然体になって、自然と湧き起こる天性、天分に沿って生きる・・・。そうすると、その人独特の純粋で美しい光や色が出て、何ともいえない輝きになる・・・。

その独特な光や色を生かして世の中の役に立ち、愛され、慕われる素敵な大人に自分の子供を育てることが、きっと親の仕事なんだと思います。

そしてまた経営者の仕事も、縁あって集まった仲間(社内外を問わず)のこの独特な光や色がスムーズに出るような場づくり、関係づくり、共育などに力を注ぐこと。

個々の光や色が最大限に輝き、色鮮やかに表現されていくことで、その組織にしかできない力が生まれ、世の中のまだ見ぬ理想や夢にはっきりと実感できる色彩を与えることができるのだと、最近つくづく思います。

もちろん、「言うは易く行うは難し」。理想通りにいかないから、それこそがまさに「修行」?山にこもって、独りで難行苦行するより、実はこれが一番難しい修行なんだと自覚すれば、少しは気が楽になるかもしれませんよね。

男の錯覚は、心の深い奥底の叫びを封じ込め、
見栄とプライドで繕われた思い鎧兜で、光と色を遮る。

いろいろと偉そうなことを言っていますが、私とて起業してしばらくの間は、それこそ“必死のパッチ”で、まわりを見ている余裕など毛頭ありませんでした。飯を食うためには人の迷惑顧みず・・・というところもいっぱいありました。

若さゆえ、世間から格好良く思われたい、凄いと思われたいという自己顕示欲、名誉、地位、財産欲も人並み以上にあったと思います。でも、これがあったおかげで、無から有をつくる強烈なエネルギーとなり、実際社会的にも少しは知られたり、多少の影響力を持てるようにもなりました。

ただ、男はここからが錯覚しがちです。全て自分がやったという「自己慢心の権化」に陥り、そこに必要以上のプライド、メンツ、見栄、虚勢などを持ち、周りの意見を聞かなくなるという「自己肥大病」になっていきました。

この等身大ではないずっしりした変な見栄やプライドで繕われた鎧、兜は、自分の心の深い深い奥底では、身にまとっていることが重くてしんどいと思いながらも、雪だるまが坂を転げるように、一度転がるとなかなか止められません。

自分の魂の叫びは無視しながら、頭でっかちになった「理想の自分」をより大きく見せ、社会的な評価を得て、格好良く思われようとして、さらに孤立しながらも「一人相撲」に邁進していきます。

まるで山にこもって一人で難行苦行をしている修行僧の様でもあります。

自然体の本当の光や色を奥底から醸し出せる「真に格好いい人」。

ただ、不自然なことにはいつまでも続きません。
自然界には、偏ったものを元に戻そう、バランスをとろうとする「絶対的な法則」が働きます。

そしてそれは、当人にとってはもの凄い痛みを伴ってやってきます。病気でいえば、好転反応というもので、一時的に高熱が出たり、強い痛みやしびれ、湿疹が出るようなものです。社員の離反、業績の急な悪化による業務の縮小、家族不和など、今まで目を背けてきたことを現実につきつけられ、そこでその巨大になった鎧や兜、傷つきながらも頑なに守り続けてきた“自己防御の殻”を破らざるを得なくなります。

その時に、ずっと以前から見抜き、訴えかけてくれていた社員や家族の本当に親身になった真実の言葉がようやく耳に入り、自分が虚しいこと、らしくないことに偏り走り続け、様々な犠牲を産んできたことに初めて気づきます。私の場合は、その時、家族の前で鼻水を垂らして号泣し、嫁さんと娘に心から詫びたことが、昨日の様に思い出されます。

それから肩の荷が降り、信じられないくらい身心が軽くなり、ずっしりとした鎧兜がスーッと氷解していく様な感覚と同時に、目の前の世界が急に明るく、優しく、イキイキとして見えるような不思議な感覚を覚えました。

「これが私の本当の姿なんだぁ~」と、初めて自然体になった自分と出会え、新しい自分が誕生した様な歓びが込み上げてきました。

男は特に、スキがなく、地位、名誉、権威などの外からの評価で自分を格好良く見せることが美しいと思いがちですが、もうそれは時代遅れ。

内面の格好いいところも格好悪いところも両方素になって出せる人ほど魅力的で可愛く、素敵な人になる・・・。その方が、自然体の本当の光や色を奥底から醸し出せる「真に格好いい人」になれるのかもしれませんね。

6月は父の日もありますが、お父さん、そんな時代を受け入れて、格好悪そうなことも言ってみたりやってみたりして、自然体の自分になって、残りの人生を一緒に願晴って(がんばって)生きませんか?
ついつい着けてしまいやすい、鎧や兜から解放されて・・・。

合掌

Guts

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