
#8 いのちの移しかえ

ミラノ・コルティナ冬季五輪のスキージャンプ競技が行われた近くに、パネヴェッジオとよばれる深い森があります。
ここは、ヴァイオリンの名器ストラディバリウスの表板となったトウヒの木が切り出されたと言われる場所です。
アントニオ・ストラディバリが生きた17世紀、ヨーロッパは小氷河期を迎え夏と冬の温度差が少なく、そのため年輪が詰まったヴァイオリンに適した木を求めて森に入ったとされます。
2013年の初冬、この森からヴァイオリン製作者の中澤宗幸さんが樹齢数百年を超えるトウヒの木を切り出すその撮影に、龍村仁監督と共に立ち会わせていただきました。
すでに深く雪を蓄えた森の中を、いつの日かヴァイオリンとなった時の音色を想像しつつ、これぞと思う木を一本一本叩き、森に響く音を観ながらラッセルしていきます。そしてついに巡り合った大樹に、祈りを込めて最初の刃を入れさせていただきました。
その最後、クサビを入れて安全な方向へ倒れるように導いていこうとするのですが、いくら打ちつけても頭を揺らすだけでびくとも倒れようとしません。見上げると、積もった雪が陽光の輝きをまとい、粉雪のように私たちに降り注いできます。まるで何かを語りかけるように。
そんな対話とも思える時間がどれだけあったでしょうか。
やがて大樹は、ギッギッギッという静かな音とともにゆっくりと、雪原に轟き渡る音を立てて倒れていきました。
その直後、舞い上がった雪が我々を真っ白な世界へと包み込みます。
しばらくして視界が戻ったその時、横たわった木のそばに寄り添う中澤さんの姿がありました。

あの光をまとった粉雪が運んできた時間は、受け入れる「時」を大樹に、受け取るだけの「覚悟」を我々に、生命の受け渡しを結ぶための時間だったのかもしれないと、再び静まり返った雪原に感じざるをえませんでした。
人間の我欲で切った生命に、姿を変えて永らえてもらう、そのお約束。
中澤さんの手によって、東日本大震災で傷ついた樹々や家屋の廃材から生み出されたヴァイオリンがあります。特別な思いを持って一人また一人と弾き継がれていくことで、不思議にヴァイオリン自身が成長していく、と中澤さんは言います。
いのちの移しかえとは、人の思いを通して、感じ、育ち、伝えていくものなのかもしれません
中澤宗幸:ヴァイオリン製作と修復家。名器の修復を手がけ、津波流木による“TSUNAMI VIOLIN”制作でも知られる。龍村仁監督作品「地球交響曲第八番」に出演。







