第4話 竹繊維のパイオニアとしてのチャレンジ

第4話 竹繊維のパイオニアとしてのチャレンジ

河の流れように

記念すべきTAKEFU第1号商品のボディタオル(ノーマル)を発売したのが2001年の秋。
それから今日の2016年に至る15年のもの作りの歴史。
さあ記憶を紐解きながら遡上の旅を始めてまいりましょう!

開発者 相田雅彦のTAKEFU(竹布)製品開発の軌跡【第4話】

竹繊維のパイオニアとしてのチャレンジ

■竹のタオル

2004年~2005年にかけて、私たちは第一回目の成長の節目を迎えることになりました。

きっかけになったのは、高級輸入家具の専門店をチェーン展開しているお客様との出逢いでした。

残念ながらその取引はお客様のご都合で2年程で終了してしまったのですが、そこでまとまった量のご注文を頂いたのが、スプリングボードとなり、10,000枚以上の生産ロットを要するタオル類の生産へと進んで行けることになりました。


ここで生産したのは『タオルハンカチ』と『バスタオル』です。最初は社名であるNAFAの”N”を緑で刺繍した生成りのタオルでした。

竹布の抗菌力や吸水力(綿の約2倍)は既に確認しておりましたが、100%の湿潤時に手洗いして絞った時に糸が切れて穴が開くという問題が発生しました。

柔らかさと軽さを重視した仕様でしたが、自分が雑巾になってキリキリと絞られる気がして悲しくなった思い出があります。

『タオルハンカチ』や『フェイスタオル』で特に目立ったクレームでしたが、次の生産ロットで地糸に従来の2倍の太さの糸を使用し、さらに双糸(2本を1本の糸に捻り合わせる)にして解消しました。

糸は丈夫になり、目付も上がり、風合いもふっくらとして、超高級なタオルとなりました。
しかし、品質を重視する余り、コスト高になるという認識が欠けておりました。

地糸には綿(cotton)を使うのが定石ですが、私たちは中からカビが発生することを避ける為に「竹布100%」を選択しました。
竹繊維のパイオニアであるNAFAだからこそできる大変難しいチャレンジの連続です。

TAKEFU製品の価格をユーザーの皆様はどう感じておられるでしょうか?

日本を代表する経営コンサルタントである故・舩井幸雄先生は、「TAKEFUは今の3倍の価格にしないとその価値に見合わない」と言ってくださいました。
このお言葉が、その後も幾重にも重なる山を乗り越えていく大きな支えとなりました。

大手繊維メーカーとの特許裁判に巻き込まれていたのも丁度、この時期でした。
竹繊維を独占しようと数社の大手繊維メーカーが結託し、特許を取得しました。
私はその特許に特許性がない事を主張し、特許庁は私の申し出の正当性を認め、1年半の時を費やし、その特許を無効としました。

しかし、それでは困る大手繊維メーカーたちは、知的財産高等裁判所に上告し、私は彼等と裁判で戦うことになりました。
私たちにとっては大きな負担となるお金と時間を浪費することになりました。

彼等は自分達が独占して大きな利益を得る為、私は竹繊維を世界中の誰もが自由に使えるようにする為の戦いでした。
その裁判はまた、1年数カ月の時を費やして、私たちの完全な勝利で終わりました。

2003年~2005年、大手繊維メーカーからのライセンシーが100社を超えるに及んだと聞いておりました。久々に訪れた日本繊維業界の活況に、私は水を差す形となってしまいました。

しかし、竹繊維が本来の果たすべき役割とは異なる所で、数社のメーカーによって単に利益を得るだけの為に独占されるという違和感を私には看過することはできませんでした。

大手繊維メーカーに原綿を提供するだけで数十億円のビジネスをすることも可能だったのですが、特許を無効にすることで、竹繊維を世界に開放することとなり、左うちわで生活するという甘い夢ははかなくも潰えてしまったのでした(笑)。

竹布のコピー商品も出現したりと、市場が数年間は混乱することになったりしましたが、それは取りもなおさず、竹繊維が世界に開放されたことの証であり、私たちの真の誇るべき勲章であると言えるでしょう。

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