感性と理性。そして、みえるものと見えないもの。
大切なものの融合がここ「ゆの里」にあるように思います。
「月のしずく」の故郷、天然温泉「ゆの里」はこの10 月、開業25周年を迎えます。
水とともに歩んできた重岡寿美子社長と重岡昌吾専務にお話をうかがってきました
ゆの里の始まりは重岡寿美子社長の「これからは自分の健康はお金を出してでも守らなければいけない時代がくる。
だから私は『本当の健康ランド』を作りたい」のひと言から始まりました。
「本当の健康ランド」とはいったいどのような物なのか? まったくわからないままに、「私が健康ランドをやろうと言うところに水が湧かないはずはない」と感性の赴くままに井戸を掘り始めました。
そして奇跡的な局所地震により『金水』が湧き出て、社長は健康ランドを建てました。
始まりは社長の直感。素直な心と感性が「ゆの里」を生みました。
最初はおいしい料理とお風呂でみんなに喜んでもらえばいいというくらいの気持ちだったのです。
ところがスタートして半年後、ある日、毎日お風呂に入りに来ていた常連の山伏の装束を来た方から社長に「一杯ビールをご馳走させてください」と申し出がありました。
それを受けて社長がビールを飲み干すと、その山伏の方はおいおいと泣きながら、社長に向かって手を合わせ、「本来であれば、私のような者がビールを注がせていただける方ではありません。あなたは弘法大師の御母堂の生まれ変わりです」と言われたのだそうです。
そして、こんな言葉をかけられました。
「この地は高野八葉に抱かれた聖地で、今から3年5年はご苦労もあおりでしょうが、その後は日本全国から癒しを求めてやってくる場になりますから、絶対に諦めないで続けてください。これは社長さんがやらなければならないことですよ」と。
その出来事をきっかけに、寿美子社長は素直な心で「最高の温泉を掘るしかない」そう固く決意したのです。
そして、プロの掘削士の「この地には温泉は出ない」という予想を覆し、奇跡的に温泉水『銀水』が湧き出しました。
お水に育てられてきた25年。
水の声を聴くことを続けていきます。
社長が感性の人なら、息子の昌吾専務は理性の人。
見えないものを見えるものに落とし込み、一般の人へ分かりやすく伝えるのが昌吾さんの役目です。
まったく異なる性格が補い合い支えあって25年を迎えられているように私には感じられます。
「25年間、本当にお水に育てられてきました。温泉が出た後から今まで、お客様の体験やゆの里に集まる人たちにだんだんとお水のことを学ばせていただいてきたというのが正直なところです。」という昌吾専務。
今後についてこう語られます。
「水というのはいろいろなものを溶かし込み、それを届ける器のような役割だと思います。
金銀銅3つのお水には、その器にそれぞれ異なった目的を果たすための力を与えている何かが存在していることをリアルに感じています。
その意思と目的を間違えないように守っていく。そしてそれを形にできたらいいなと思います。
大きな力を感じ取れるように、素直な心で自分がいることも大切だと感じています。
その時その時に必要なことは、情報として聞こえてきて見えてくるという感じでしょうか。
そのお水の声を聴くということを、ずっと続けていきたいと思います。」
弘法大師ゆかりの高野山の麓に湧き出ている温泉ということで、山伏や多くの霊能者がゆの里を訪問し、様々な預言めいたことを置いていきました。
それを素直に受け入れて歩んできた中、多くのお客さまからの喜びの声が体験となって、お水に対する経験則がゆの里の中で育まれ蓄積したきた25年間。
さらに、ここ数年は、様々な科学者による水の研究などから、科学的な水のアプローチがどんどん進んできているようです。
寿美子社長と昌吾専務。感性と理性。そして、見えるものと見えないもの。
大切なものの融合がここ「ゆの里」にあるようにも思います。
ゆの里25年の歩み(年表) | |
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昭和62年 |
無菌の地下水「金水」湧く 同年10月橋本健康ランド「ゆの里」開業 |
平成元年 | 温泉掘削開始 |
平成2年 | 神秘の温泉水「銀水」湧く |
平成4年 | 「銀水」をスプレーにした「神秘の水」発売開始 |
平成7年 | 「金水」と「銀水」をブレンドしたミネラルウォーター「月のしずく」2lボトル発売 |
平成8年 | 「銅水」湧く |
平成12年 | 「月のしずく」がお大師様ゆかりの水として高野山のお接待に使われる |
平成14年 | 「ゆの里ファーム」で野菜作り開始 |
平成15年 | 宿泊施設お水の宿「このの」開業 |
平成16年 | 「月のしずく」500mlボトル発売 |
平成20年 | 「ゆの里」のお水を使った水耕栽培開始 |
平成23年 | 神戸大学と高知大学が「ゆの里」と共同研究で水の研究を始める |