「どんな男になんねん」

「どんな男になんねん」

ほっとメッセージ

「勝ったら学生が凄いねん。負けたら俺が悪いねん」

こんにちは。
お元気でいらっしゃいますか?

「仰げば尊し、我が師の恩。教えの庭にも、はや幾年~」。もう懐メロになるような卒業式の歌。3月、卒業の時節です。
そういえば、約1年前にこの誌面をお借りして、私の母校、関西学院大アメフト部監督の鳥内秀晃さんのことを紹介させていただきました。私の一学年上の先輩ですが、関西のスポーツ界のみならず、全国のスポーツ指導者やアスリートの間でもその実績と人柄はとても有名で人気があります。
2年前に世間を騒がせた日大アメフトタックル事件では、毅然とした態度でメディアや社会から選手やチームを守りきり、学生日本一を争う甲子園ボウルに出場。早稲田大を破って、前年日大に敗れ日本一を奪われた屈辱を見事に晴らしました。これには、私達アメフトOBや関係者のみならず、関学の数多くの学生、卒業生が清々しく誇らしい感動を覚えたものでした。
そんな鳥内監督が、今年1月の社会人との日本一決定戦を最後に、コーチ6年と28年の監督業から引退、卒業されました。監督としての在任中、甲子園ボウル優勝12回、社会人を制するライスボウル優勝1回の圧倒的な戦績は、日本のアメフト史に燦然と輝いています。 「勝ったら学生が凄いねん。負けたら俺が悪いねん。だから勝ったら学生を褒めたってや。俺よう褒めへんから・・・」。そんな照れ屋で口数が少ないながらもユーモアと愛情にあふれた鳥内節は、関わるたくさんの人々を魅了してきました。
一見強面で厳しそうですが、実は誰よりも無私で、人を大切にして愛情を注がれる鳥内監督だからこそ、34年の長きに渡り皆が監督を慕い、支え、信じ、団結して、いいチームとして素晴らしい戦績を残し続けることができたのだと思います。

そんな人間味溢れた名将鳥内監督ですが、監督になって間もない昔は、失敗の連続だったみたいです。当時はコーチも少なく、すべて自分で動いて指導することが多く、また結果を急ぐあまりに強力なトップダウンで指示することが日常となり、自分で考え、意志を持って行動する選手を育てられませんでした。チーム力も底上げできず、4年連続で甲子園ボウルに出られなかったという屈辱の時代。悩みに悩んだある時、4年生をコーチ代わりに育てようという考えを思いつきました。それは、新しいシーズンが始まる前に、新4年生と一対一で向き合い、お互い腹を割って、本当の目標や理想、生き様を語り合う、男と男の約束から始まりました。

鳥内監督とガッツさん(代表山口)
2020年1月3日 ライスボウルにて 左/代表 山口・右/鳥内監督

懐の深さと志の高さ、愛情と厳しさを兼ね備えた 鳥内監督だからこそ、歴史に残る戦績や名勝負が。

「おまえは4年としてチームにどんな風に貢献するねん」「おまえは後輩とどんな風に関わって、どうやって育てんねん」「日本一に本気になりたいんやったら、何をするねん」「最終的にはどんな男になりたいねん」。
学生にとってこれは究極の質問であり、自分の想いや考えを削いで磨いて魂でぶつかり合わないと、自分の本気や本当の目標、生き様は出てきません。その時間のかかる作業を一人一人と重ねながら、その内容を4年生全員で共有し合う。そうすることで4年同志の本気の想いと志を一つにしていく。そしてそれをグランドで実践し、切磋琢磨し合うことで、甲子園ボウル、ライスボウルの優勝を成し遂げる・・・。こうして監督が究極の引き出し役となり、監督自身が一番望んでいたチームづくりの根幹ができ上がっていきました。
「学生スポーツは、未熟な学生を本気にさせ、いかに自主的に内発的に自分の目標やチームの目標を人と協力し合って達成していくかを身につける人間教育やなぁ」。持ち前の探求心から40歳になって教員免許も取られ、教育現場の実情と大変さなども体験された監督だからこそ出てきた強いチームづくりの答えです。4年間のアメフト生活で「どんな男になんねん」と人間的成長を促し、様々な困難を乗り越え達成する力や、失敗の経験をも力に変えて、社会に出てからも活躍し、喜ばれる人間をつくる。その懐の深さと志の高さ、愛情と厳しさを兼ね備えた鳥内監督だからこそ、34年もの間、大学スポーツ界でも歴史に残る戦績や名勝負を残してこられたのだとつくづく思います。もちろん勝負師としての器量や知恵、才覚も抜群ゆえ、勝負師と教育者の二面性を持ったところもまた鳥内監督の大きな魅力でした。

書籍「どんな男になんねん」

全国の指導者を鳥内節で魅了し、これからの スポーツ界をぜひ底上げしていってほしい。

そんな監督でしたが、一度だけチームを去ろうとしたことがありました。それは、17年前の夏合宿中でチームに欠くことのできない4年生を急性心不全で失ったことでした。不慮の事故とはいえ、大切な学生さんの生命を守れなかったという悔恨の念は未だに消えることはなく、今もって毎月そのご家族のご自宅に伺われ、お線香をあげられています。そして、ご家族がずっと受け入れ続けてくださることに常々感謝しておられる。本当にその時が一番苦しかったと思いますが、それをきっかけに「世界一安全なチームをつくる」と宣言され、事細かな安全基準を設け、学生の生命を預かるコーチにも安全を第一にしたコーチング指針を打ち出し、二度と事故が起こらないよう徹底して指導されてきました。そして、それをずっとチームに残し続けることが、亡くなった彼から与えられた永遠の課題であると、月命日にはいつも自問自答されておられます。
辛いことも乗り越えながら、持ち前の正義感と責任感、飽くなき探求心と向上心で、学生のみならず、スポーツ界全体を引っ張ってこられた鳥内監督。既に1000名を越える門下生は、卒業後、時折学生時代の鳥内監督との対話のテープを聞き返し、当時の至らなさと成長している自分に気づいたり、初心に帰る宝物にしている人も多勢いるとか・・・。コーチ、監督34年中23年は無給で指導。家業の製麺業で早朝から働き、午後にはグランドに・・・。インフルエンザでも病院に行かず、歩行困難なヘルニアを患ってもグランドに立ち続けた無私かつ信念の指導者 鳥内秀晃さん。本当にその生き様には頭が下がりました。
34年の歴史はここで一旦卒業されますが、自らが書かれた新刊『どんな男になんねん』の如く、これからは全国の指導者を鳥内節で魅了し、五輪イヤーの今年からスポーツ界をぜひ底上げしていってほしいと思います。
鳥内さん、本当にお疲れ様でした。そして監督としてすばらしい夢と感動を与えてくださって、ありがとうございました”。

大感謝

Guts

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