心地のよい食

ほっとメッセージ

「ゆかちゃんがご飯作らないと今晩のご飯ないの。作れる?」

こんにちは。お元気でいらっしゃいますか?

新緑の眩しい季節。5月は、ゴールデンウィークや子供の日、母の日など楽しみがいっぱいですね。
そういえば、先日、伊丹の実家に帰った時、古くなったリビングの柱に色あせたテープが貼ってあるのを見つけました。下から130センチくらいの所まで数カ所貼られたそれは、娘の祐加(ゆか)が帰省した時に、母が背丈を計った名残りでした。
「ん~、懐かしい~。こんなに小さい頃もあったんだなぁ~」と何か感慨深くなりました。
26年前、起業して間もない私達夫婦に授けられた娘はすくすくと育っていましたが、ある時、アトピーになってしまいました。かきむしり、夜泣きする娘に母子共々本当に辛い時期があり何もできない私は、アワ、ヒエなど、アレルギー除去食を一緒になって食べるくらいしか協力できませんでした。
この頃に、娘は本能的に食に対する「おいしいものをおいしく食べたい」という気持ちが芽生えていったのだと思います。
その後しばらくして、除去食や様々な生活改善の効果で、小学校に上がる頃にはある程度何でも食べられるようになっていきました。
「おいしいものを本当においしそうに食べる」。そんな娘の姿は親として本当に嬉しく、幸せな気持ちになったことを今でもよく覚えています。

娘が小学生の頃には、私達夫婦の仕事仲間や友人をよく家にお招きし、多忙な嫁さんが精一杯のご馳走をつくって、ワイワイガヤガヤお酒を飲みながらよく夢を語り合ったものでした。そんな大人達に交じって、小学生ながら自分のことを語ったり、大人もたじたじの質問をしたりして、物怖じしない好奇心旺盛なその言動に、私達が驚かされることもよくありました。
きっと彼女の社交性も、そんな小さな頃からの大人との交流で培われていったのだと思います。
成長するにつれ、やがて食事会の料理の支度も進んで手伝うようになり、仕事と家事で忙しい母親を少しずつ手伝ってもらいながら、彼女に料理の独り立ちをさせていこうという考えが私達に出てきたのは、自然の流れだったと思います。
小学校2年の頃、ある時、母親が「お母さん、忙しくて疲れてるから、ゆかちゃんがご飯作らないと今晩のごはんないの。作れる?」そんな脅しとも、可哀そうとも優しさ?ともとれるひと言が、実は彼女が後に「料理の世界」に目覚める第一歩となりました。実際に、母親から教わりながら作ってくれた料理は本当においしく、お客さんが来ても「娘さんが作ったとは思いもよらなかった」とびっくりされることもよくありました。
大人が喜ぶ顔、感動する顔を見て育った彼女は、その頃から料理の面白さ、楽しさを身につけていったのだと思います。

食は知らない人でも仲良しになれて、豊かな時間を過ごせる… それを ”心地良さ“として蓄えていったのだと思います。

仕事柄どうしても仕事仲間と一緒に外食することも多く、娘も連れて行くと、そこのお店のおいしさや雰囲気、接客の良さなども知らず知らずに体験値として記憶されていき、より一層、彼女の食に対する好奇心や感度を上げていったのだと思います。
食は知らない人でも仲良しになれて、豊かな時間を過ごせる。
そんなことを早いうちからどこかに“心地良さ”として蓄えていったのだと思います。

そんな彼女は、小学校6年から中学3年まで、体験学習を中心とした福井の学校に寮生活をしながら通っていました。そこでは生徒が料理を作る日もあり、料理好きの彼女はまるで修行中の料理人の如く、40人分の野菜を切ったり、豚汁を煮込んだり、カレーを作ったりしていました。作ったものがあっという間に消えていく、生存のための料理の凄さと儚さを身をもって知る中学時代を過ごしました。
高校時代は家に戻り、都内の高校で部活と受験で忙しく、料理からは少し遠ざかっていましたが、おいしいお店を探しては家族でよく出かけていました。
そんなグルメ経験の賜物でしょうか、大学でニューヨークに半年ほど留学していた時には、毎日のようにインド、中国、タイ料理など各国のおいしいお店を食べ歩き、200店くらい掲載した「ニューヨーク食べ歩きガイド」を作るほど、海外の食文化を堪能し、おおいに刺激をもらって帰ってきました。
そして、その食べ歩き習慣は社会人になってからも継続され、最初の就職先が京都であったことも手伝って、高級グルメからB級まで京都の街を縦横無尽に食べ歩き、2年間の在職中に京都の食のクオリティーの高さに圧倒され、すっかり京都の街が大好きになりました。
やはり京の都は四季折々の風情や食感を大切にする個性豊かな個店が多く、日本の食文化の本質、歴史を身銭を切って体験できたことは、彼女の料理に対する深みや日本の食に対する素晴らしさを再確認する機会だったんだと思います。

“心地のよい食”の作り手や場所、考え方を増やしたい!

そして2年目を終える頃。彼女の中にフツフツとした声が聞こえてきました。
「私はやっぱり大好きな食の仕事をしながら、私らしく世の中の役に立ちたい」。
そんな彼女の心の声はもう誰も止めることはできませんでした。
大好きな京都、温かく育ててくれた出版社を卒業し、東京に戻って1年間、食のイベントプロデュースの会社での経験を経て、昨春から食にまつわる仕事を自分で企画して立ち上げていくことになりました。
彼女の心のささやき、それは「“心地のよい食”の作り手や場所、考え方を増やしたい!」という声でした。
そしてその声に従って、note、Twitter、InstagramなどのSNSで様々なメッセージを発信していくと、それが口コミを呼び、おかげ様で様々な人や会社から取材や執筆の依頼が舞い込んできました。その中でも「18年間料理を続けてたどり着いた、簡単で続けられる自炊のコツ5つ」というnoteの記事は10万PVを超える大ヒットの読物になっています。
そして今、彼女は、自炊をしてみたいという人に体験型で教えていくワークショップ“自炊レッスン”という全く新しい料理教室を始め、それが少しずつ話題になり始めています。
彼女曰く、私が一番習わないといけない生徒ではありますが、それはともかく、面白い展開になってきそうなのは親から見ても楽しみです。
本当に好きなことを突き詰めていけば仕事になっていく…。いい時代になったものです。
さて、もうすぐ子供の日。実家の背くらべのテープからここまで成長してきている娘(26歳)を見て、感慨深く思う今日この頃です。

感謝

Guts

「“心地よい食”の作り手を増やしたい」 山口祐加さん #noteクリエイターファイル | note編集部
https://note.mu/notemag/n/n4c42a797e3f9

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