「ガッツ、それでは俺は抜かれへんで」。辛口でも心に響く一言。
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか?
桜が一斉に咲き乱れ、生きとし生けるものの成長の扉を開いてくれる4月。
新入学、新入社、新天地など、ワクワクと不安の入り混じる時節ですね。
私事で恐縮ですが、今から40年前、私は、合格できるとは思ってもいなかった関西(かんせい)学院大学に入学することができました。
ん? 関西学院?
そうです、約1年前にメディアを大きく賑わせ、世間の注目の的となった日大の悪質タックル問題で被害にあったチームの大学。実は私も関西学院ファイターズというアメフト部に入部し、4年間籍を置いた学生でした。
今から思えば、この学生時代に人生の基礎が確立していったように思えてなりません。
今なお、私は周りの多くの方々から「ガッツさん」の愛称で呼んでいただいていますが、このニックネームも当時の先輩が「おまえはガッツ石松に似ているし、ホンマに根性あるから、今日から“ガッツ”でいこう」と名付けてくれたものです。
実際に当時は、受験太りでパンチパーマをあてていたから、ガッツ石松さんに似ていたのは否めませんでした。今ではそんな風情もありませんが、そのニックネームにふさわしいプレイをしよう…、卒業してからも、その愛称に負けない生き方をしようとして今があるのは、その先輩の一声のおかげです。
そんな先輩方のお一人に、ファイターズ現監督の鳥内さんがいました。そう、昨年、渦中の報道やメディアの記者会見で筋の通った受け答えをして選手や大学の矢面に立っていたあの方です。
当時の鳥内先輩は、守備の要として相手選手をタックルして止めるディフェンスバック、私は攻撃で得点を取るためにボールを受けて走る役割のワイドレシーバーでした。
毎日のしんどい練習、苦しい合宿の中で、鳥内さん達ディフェンスをいかに抜いて得点をあげるかが私達の課題でしたが、当時から名手だった鳥内さんはなかなか抜けないし、タックルも一発必中で止められました。
「ガッツ、それでは俺は抜かれへんで」。鳥内さんの一言は、いつも辛口だけどシンプルで愛情がありました。裏表が無いので心に響き、「何クソ…」とまた練習で「絶対抜いてやる」と思わせるものがありました。
そんな鳥内さんは、年上のキャプテンにも、直球で「こんな練習してたら勝たれへんのちゃう?」と物申していました。
周りがハッとするようなことを本音で堂々と言う。これが鳥内さんの人柄であり、その分、手を抜かずに人知れないところでも練習して結果を出す。それが鳥内秀晃という人間でした。
実は鳥内さんのお父さんは、70年以上の伝統を誇る関西学院ファイターズの2期生。その後監督も務められたお父さんは親子瓜二つの強面の顔をしていましたが、当時から「オッチャン」の愛称で親しまれていたOB会のトップでもありました。
左 : 関西学院ファイターズ 鳥内 秀晃 監督
右:プロ・アクティブ 代表 山口
70年以上経った今でも脈々と息づく文化と伝統。それこそがまさに強さの秘訣。
お父さんの頃は、戦後間もない頃ゆえ、大学スポーツも上級生や監督は絶対で、しごき、体罰、罵倒などのスパルタ指導は当たり前の時代。そんな時代に「俺らの時代から上下関係の垣根を越えた自由な雰囲気をつくり、何でも言い合いながら自主的に切磋琢磨して成長できるチームにしていこう」という不文律を作り、その文化と伝統が70年以上経った今でも脈々と息づいている…。
大先輩達が、今の時代性を読み取ったかのような発想で関学アメフト部のDNAをつくってくださり、ずっと受け継がれてきたことが、まさに強さの秘訣であり、最多優勝記録を誇る所以なのだと思います。
ヤンチャだった私が卒業し、社会人として自立できたのも、この文化で育ったからこそ。後に株式会社リクルートでアメフト部の立ち上げに参画したり、起業して会社を立ち上げる際にも、その文化をイメージしたチームづくりや会社づくりを目指し、今も変わらずその思いで運営しています。
「お前はチームのために何をするんや」「そのために日々何をやるんや」
鳥内先輩は、卒業後すぐに関学アメフト部の監督を目指して本場アメリカにコーチ留学され、帰国後5年間コーチを務めて、1992年に監督に就任されました。
選手時代に学生日本一になれなかった私達の悔しさを晴らすべく、“打倒日大”を旗印に、鳥内監督のチームづくりが始まりました。
が、新たな強豪チームの出現によってなかなか勝てない時期もあり、「何が悪いんやろう…」と自問自答しながら、いつの間にか上から目線で指導していたり、学生の本気を引き出すことができず、自立できないチームづくりになっていることに気づかれました。
そんな葛藤の日々を経て、辿り着いた答えが、4年生中心に一人一人と向き合い、膝をつき合わせて学生の本気、主体性、自覚を促す個別指導です。
「お前はチームのために何をするんや」「そのために日々何をやるんや」そして将来的には「どんな男になるんや」。
この直球かつ究極の質問で、その人間の本気さや思い、チームに対する一人一人の貢献目標などを具体的に引き出し、共有し合う…。
卒業し、どんな男になって社会で活躍したいかまでイメージさせる…。それはまさに人間教育。今なおずっと実践されています。
私も、一人のOBとしてチームのためになりたくて、20年以上前から大事な試合や合宿の際には、ファイテンのチタンテープやローション、スパッツなどを差し入れし、時には学生に直接チタンテープを貼るなどしてサポートさせていただいてきました。それゆえに、昨年大変な事件がありながら、2年ぶりに大学日本一に返り咲いたことは本当に嬉しく、まさに感動の一年でした。
監督いわく「日本一になるためにどれだけ努力し、まわりと一緒に成長できたか?その先に自立した立派な社会人になって、ファイターズのOBとしてふさわしい活躍をしてもらいたい。そのためにやってんねん」。
鳥内秀晃60歳。
来年いっぱいで監督を引退され、後進に道を譲られます。
コーチ・監督としての35年中、23年は無給で指導をされてきた人生に本当に頭が下がります。
こんな監督がいるから、関西アメフト部は簡単に負けられない。
現在、鳥内門下生は1000名を超えるとか…。チーム、会社、団体など、栄枯盛衰は世の常ですが、いい指導者に出会えた学生や人は本当に幸せですね。
さて、新学年、新ステージの扉が開く4月。「ガッツ、おまえは仕事を通じて、どんな人間、社会をつくっていくねん」。そんな鳥内さんの声が聞こえてきそうです。(ドキッ!)
合掌
Guts