当たり前に見える日常こそが、実は本当に”有り・難い”ことなんだ…。
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか?
早いものでもう初秋、9月は敬老の日、秋分の日とイベントの多い月ですね。
私事で恐縮ですが、兵庫県伊丹市に一人で住んでいる私の母は今年で81歳になります。
5年前に父親を亡くした時は心身共にやつれ、半年以上元気を失っていましたが、周りの方々の温かい気遣いや言葉がけですっかり元気になり、今は何とか一人で穏やかに暮らしています。
今年の6・7・8月は、異常な猛暑に加え、大阪高槻を中心とする大きな地震や西日本豪雨、逆走台風など、立て続けに普通では考えられないようなことが起きてしまいました。
特に地震については、阪神淡路大震災で実家が結構傷ついた経験もあったので、今回はすぐに母親に電話すると、「ビックリしてすぐ外に飛び出して、いつも気にかけてくれるお隣さんと一緒に落ち着くのを待っていたとこやねん。一人じゃ恐いけど、お隣さんがいるからちょっと安心やねん」。
そんな言葉を聞き、母親の無事と、お隣さんの心遣いや親切な対応に、心の中で手を合わせている自分がいました。
母親の周りには身内以上に気にかけてくださっている方が何人もいるから、私達がこうして東京で自由に仕事をし、充実した日々を過ごせていると思うと、本当に有難いことなんだとつくづく思います。
風邪ひとつひかない私の母親は、幼少期、往復10キロ以上の田舎道を徒歩で通っていた健脚の持ち主。
小学校2年の時に母親を亡くし、躾の厳しい叔母に育てられたから、自分のことは自分でする人ですが、生来の心配性は自身の生い立ちからきているのだと思います。
時々電話をすると、決まって「アンタ、会社大丈夫か?厳しい時代やから経営するのは大変やと思うけど、人様に迷惑をかけたらアカンで!」という感じで、常に心配しています。
いつまでたっても子供は子供。
「うるさいなー」と未だに思えるのも、母が元気でいてくれているからこそ・・・。
こうした当たり前に見える日常こそが、実は本当に”有り・難い”ことなんだと思います。
「前ばかり見て走り、忙しくしていると、その字の如く本当に心(忄)を亡くしてしまい、”有り・難い”ことに気づかず、人を軽んじて恩義や礼儀を欠いたり、甘えたり、迷惑をかけてしまうこともある・・・」。
小さい時から回遊魚のように動き回っている私の性分を案じて「人に迷惑をかけたらアカンで」と念を押す母親のメッセージには、そんな警告が刻まれていたことが57歳になってようやくわかってきました。
「アンタ、アホちゃうか?遅すぎるわ」とあきれ顔で叱られそうですが、自分にとって一番嫌なこと、痛いことを言ってくれるのが母親であり、嫁さんです。
特に母親は、お腹の中から育み、生んでくれ、育ててくれた120%の愛情の塊で苦言を呈してくれているから、”老いては子に従え”ではなく、”老いても親は敬い、素直になってその苦言は聞く”べきですね。
その自覚のために「敬老の日」があるのかも知れません。
「わかってほしい」「知ってほしい」。
これを満たし合うことが一番大切なんだと思います。
最近は、年に2~3回、宝塚の山の上にあるミニ懐石のお店の、大阪の夜景が一望できる素敵なカウンター席で、母と2人で食事をしながら一杯やることが私の親孝行イベントになっています。
いい具合にお酒が進んでくると、母から日常のよもやま話があふれ出てきます。
「体操教室でこんなことがあった」「近所の○○さんの所であんなことがあった」「近くで世話をしてくれている義弟の家でビックリすることがあった」などなど、それはそれはお笑い芸人顔負けのマシンガントーク。
テレビを観ている時間も長いので、俳優や芸人、番組に対する母親独自の寸評には、テレビコメンターも真っ青です(笑)。
話はたいてい愚痴、ボヤキから始まって、最近嬉しかったこと、楽しかったこと、辛かったこと、私に共感してほしかったことなど、本当に盛りだくさんで、私は「へぇ~」「ホンマに~」「凄いなぁ~」「よかったなぁ~」「ありがたいなぁ~」と5ワードくらいのあいづち言葉でうなずいています。
喜怒哀楽のマシンガントークを受け止める。
今はそれが何よりの親孝行。
心理学的に言うと、人には、自分のことを「わかってほしい」「知ってほしい」「認めてほしい」「ほめてほしい」という承認欲求がありますが、誰しも孤独では生きていけないのだから、これを満たし合うことが一番大切なんだと、最近つくづく思います。
いわば人間関係の潤滑油のようなものかも知れませんね。親子に限らず、夫婦、兄弟、友人、同僚、上司部下など、どんな間柄にも言えることですが、これがないと生きるエネルギーが燃焼できず、心身にストレスがたまります。
元気で長生きしてほしい母の寿命も縮めることになりかねません。
私を生み、育て、57年間心配し続けてくれている恩を考えれば、時折食事をしながら母の喜怒哀楽のマンシンガントークを受け止めてあげるのは当然の務め。今はそれが何よりの親孝行なのかなと思っています。
母の話をよく聞くと、私の大学時代の親友のお母さんと月1回「仲良しランチ」をしているとかで、その日は喫茶をハシゴして4~5時間話しこんでいると言います。
そしてその会話のほとんどが、90歳になる親友のお母さんのマシンガントークなのだそうです。
「へぇ~、ホンマに~」「凄いねぇ」。母親も究極の「うなずき行」をやっているわけです。
人は楽しいこと嬉しいことを心を許し合う人に話せば、その喜びは2倍以上になるし、辛いこと苦しいことを話せば、心が軽くなり、少し楽になる・・・。相手に話しているうちに、混乱したり迷っていたことが整理できて、自分の本当の気持ちや意志が見えてくる・・・。
そんなことを知ってか知らずか、81歳の母にもまだそんな一隅を照らす社会的な役割があるので、母が言う理想の「ピンピンコロリ」はずっと先。
きっと愛用の『月のしずく』や『人参ジュース』、『TAKEFU(竹布)』がその元氣を支えてくれると思います。
9月17日は敬老の日。
周りの方々に支えられながら、一人元気で暮らす母親に、未だ教えられ、気づかされ、励まされ、逆に元気をもらっている私は果報者です。
お母さん、マンシンガントーク、まだまだ聞かせてや!
いつもありがとうな。
合掌
Guts