人生の五月病。救ってくれたのは、「スポーツ文化大号令」でした。
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか?
新緑の眩しい清々しい季節。
5月は、かもめが自由に羽ばたくように快活で、すべてのものがすくすくと成長する時節ですね。
と同時に、五月病といって、新しい職場や学校、環境に溶け込めず、心身共に弱ったりつらくなったりする時期でもあります。
かくいう私も今から30年前、転職をきっかけに人生で初めて五月病のようなしんどい時期がありました。
前職のキヤノンで、コピー機の販売で好成績を収めていた自負もあり、友人の紹介で大阪から東京へ引越し、幸運にも中途入社で株式会社リクルートに転職することができた時の話です。
当時のリクルートといえば成長真っ只中の企業。
創業経営者である江副浩正社長を、社員が敬意と愛情を込めて”江副さん”と呼ぶユニークな会社でした。
その影響もあって、私の会社も20年前から山口社長ではなく、”ガッツさん”で通し、他のスタッフも皆ニックネームで呼び合っています。
社員一人一人を尊重し、自主性を持たせ、自由、闊達な企業風土、文化を創りたいと創業された”江副さんのDNA”を私もどこかで受け継いでいたのだと思います。
ただ、30年前の転職したての私には、手漕ぎボートから操縦が難しいけどスイスイ進むヨットに乗せられて、大海原に駆り出されたような感覚で、最初は頭がフラフラ、身体はガチガチ、心はオロオロして、初めて自分でも信じられない心身の状態になりました。
若くても一人一人が優秀かつバイタリティーのある社風、お客様が喜んでくれるなら社長も部長も関係なく使う垣根を越えた営業マインド、目標を達成した者をお祭り騒ぎでもてなす風土など、当時のリクルートは本当にイケイケの会社でしたので、大阪の尼崎を歩き回って、飛び込みでコピー機を売っていたベタな職人気質の私には、文化も風土が違いすぎ、一年くらいは廃人のようでした。
そんな苦しくつらい日々を過ごす中、江副さんの発案で「スポーツ文化を立ち上げ、会社の文化の軸として、人材の育成と社会貢献を果たそう」という大号令がかかり、リクルートのランニングクラブ、アメリカンフットボール部、野球部などが次々と立ち上がっていきました。
“陰極まれば陽になる”。心身ともに痛み、人生の五月病に苛まれていた私を救ってくれたのは、この江副さんのスポーツ文化大号令で本格的に立ち上がったアメフト部への参画でした。
リクルートの凄いところは、目的達成のためには部門の垣根を越えて優秀な人材を捜し、結集させ、そのプロジェクトや事業を成功させるスピードと化学反応力でした。
すぐに、今にも退職しそうな私を当時のアメフト部の部長が見つけ出してくれて、「君の力が今必要なんや。頼むから力を貸してくれ。職場は俺の部署に転属して一緒に汗を流そうや・・・」そう熱く語られ、魂を揺さぶられたことで、冬眠状態にあった私の心身に光明が射し込み、目の前がパッと明るくなったような気がしました。
いつの間にか私も、最高のパフォーマンスを導き出す
リクルート流の人材活性法を身につけていました。
それからの私は、チームを1部リーグへと昇格させるために必死で仕事と両立させ、仲間と一緒に無我夢中でそのビッグプロジェクトに取り組んでいきました。
そしていつの間にか私も、有能な人材を集めて最高のパフォーマンスを導き出すリクルート流の人材活性法を身につけていました。
こうなると仕事も、クライアントが何に悩み、どうしたら喜んでくれるのか?と一生懸命に考え行動するようになり、どんどん結果もついてきて、営業成績もいい結果を出せるようになっていきました。
チームが強くなっていったことと、自分が両方に結果を出せるようになっていったことは、本当に大きな自信へとつながっていきました。
そんないい循環の途上、世間を大混乱に導いたリクルート事件が起こりました。
それは、後のデジタル時代を見越して情報やコミュニケーションをビジネスの中心に据えようとした、不世出の起業家・江副浩正さんの純粋なる営業努力から生まれたものでしたが、結果的には大きな波紋を残し、江副さんは創業者でありながらリクルートを去ることになりました。
この辺りの詳細や真の江副さんの人柄や人生ドラマ、リクルートの起業からの成長物語などはぜひ「江副浩正」(日経BP)をお読みください。
素晴らしい書籍です。
経済界の至宝・江副さんの無実を晴らそうと、彼を支持した大前研一さんや孫正義さんらが必死に陳情したいきさつも書かれており、現代のトップリーダー達が江副さんから大きな恩恵、影響を与えられていたことがよく分かります。
「機会によって自らを変えよ」。そのDNAが今の私を創っています。
彼は事件前は、様々な情報誌(人材、住宅、結婚、旅行、中古車など)を通じて社会に変革をもたらし、個々が自由闊達で豊かな人間社会を生きて欲しいという思いで、ビジネスの世界のみならず、芸術、音楽、スポーツなどの分野にも、常にイノベーションや貢献を図っていました。
そして事件後は、自分の冤罪を晴らすと同時に、日本の法曹会、検察の世界を少しでもよくしていきたいと、長期に渡り、厳しく大きなチャレンジをされていました。
今年の春先に、前述の書籍の出版記念を兼ねたリクルートOBの会に、私も参加させていただきましたが、皆さん、人間江副浩正に何がしかの薫陶(くんとう)や影響を受け、それぞれに社会で江副スピリットを体現し、大小様々な変革を起こされている方々ばかりで、とても素敵な会でした。
事件前までのリクルートの社是は「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」でした。
それはもちろん、自発的な機会でもあり、私は他発的な機会も入ると思っています。
私がリクルートで苦しんだ時は、他発的機会(スポーツ文化号令)によって、自らを変えさせられ、一人前のリクルートマンへ変わっていきました。そのDNAが間違いなく今の私を創っています。
そして、アメフト部(現オービックシーガルズ)は、後に7回日本一になるという偉業を成し遂げることになりました。
江副さんがご存命でしたら、さぞかし喜ばれたことでしょう。
人生の前半と後半で、あまりにも色模様の違った江副さんだったと思いますが、終生「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」を体現した方だったと思います。
どうかこの名起業家の名と偉業、そして多くの素晴らしい人材やビジネスを輩出された多大な功績を、一人でも多くの方々に心にとどめておいてほしいと思います。
ありがとう、江副さん。
後輩達は、かもめのように羽ばたいていますよ!
合掌
Guts