「素直」「感謝」は、男にとって障害のテーマなのかもしれません。
こんにちは。お元気でいらっしゃいますか?
今月は、あまり目立たないけれど「父の日」がありますね。
そういえば少し前に、二人兄弟の弟(私の2つ下)と母親と三人で、久方ぶりに実家で夕ご飯を食べました。
三人だけで食べるのは、おそらく数十年ぶりだと思います。しかし、残念ながらそこには主役の父親がいませんでした。
主役?そうです。その日は父親の満80才になる誕生日で、本当は家族4人で、近くにおいしいものを食べに行こうと弟と二人で考えていました。
ところが・・・。その一カ月前に、父親が緊急入院し、即手術という思いがけない事が起こりました。まさかの腎不全で、透析を余議なくさせられるという事態でした。
最初にお見舞いに駆けつけた時は、一気に年老いて弱々しくなっている父親が、腕や首に管をつながれて、口を開け、苦しそうに眠っていました。ヒゲはぼうぼうで、呼びかけてもなかなか返事をしないので、「えっ、まさか・・・」と心臓が止まるようなショックを覚えましたが、しばらくしてまぶしそうに目を開け、うすら笑いをしてくれました。
心の中で、「あ~、良かったぁ」と叫んでいる自分がいましたが、本当にビックリしました。
今まで実家でも、永年の重労働の金属疲労が蓄積して、強度の腰痛に悩まされ、ほとんどベッドに寝たままの状態が多かった父親でした。
しかしまさか入院するようになるとは夢にも思いませんでした。
これが人生なんですね。
お釈迦様の「この世は無常で、生老病死が誰にでもやってくる」という言葉が、この時少しだけ分かった様な気がしました。
その後、大学生の娘がお見舞いに出かけると、とても喜んで顔が明らみ、生気が出てきた様でした。
恐るべし「孫の力」です。孫から発せられる笑顔や語りかけ、手をつなぐなどの「孫力エネルギー」ほど、弱った身心を元気づけられものはないとつくづく思いました。
また、嫁さんが体をさわったり、手をつないで、「早く元気になってね。お父さん」と言うと、やはり照れ笑いをしながら、顔が本当に嬉しそうでした。
女性の手のぬくもりや優しく温かい心づかいに、男は正直に反応し、「元気になっていく大きなエネルギー」になっていくんだなぁと思いました。
一方、妻である母親には、心ではものすごい感謝をしているのに、素直になりきれない父親がいるのもなんとなく分かり、同じ男として、同性相憐れむ?様な心境にもなりました。
入院していて本当にさみしいしつまらないのに、なかなか素直になれない、感謝の言葉をずっと言えないなど、「素直行(すなおぎょう)」「感謝行(かんしゃぎょう)」は男にとって、最後に目をつむるまでの生涯のテーマなのかもしれませんね。
それはとても不思議で幸せな時間でした。
私達兄弟に、父が身を持って教えてくれたこと。
父親の誕生日を「縁」にして、今回初めてといってもいいくらい、弟と二人で父親の体にさわり、手を当て、色々なことを話すことができました。それはとても不思議で幸せな時間でした。
私といる時には口数の少ない弟ですが、父親にはバカ話をしたり、昔話をしたりして、本当によく話していました。無口で、黙々と仕事をしてきた父親のDNAは私が引き継ぎ、バカ話をしたり人によく気をつかう繊細な気持ちを持って、人に好かれやすい性格は、弟が母親から引き継いでいる事がその日良く分かりました。
また、二人で父親の手を握っている時に、父が、山口家の家系は、おじさん二人が肝臓の病気で他界したこと、祖父が腎不全で亡くなったことから、肝臓と腎臓に注意するようにとつぶやきました。
この体質的な傾向も、肝臓系は弟が、腎臓系は私が引き継いでいるようで、弟はタバコを止められたものの、そのストレスで酒量が増え、7キロ体重が増え、私の方は最近トイレが近くなり、腎臓が弱かった祖父、父親ゆずりであることが改めて確認でき、父親の入院を機会に、自分たちの予防&改善すべきテーマが見つかりました。
「もう少し早く言ってくれよ~」とボヤキたくもなりましたが、今がそれを知るタイミングだったのかもしれません。 父親が大切な体を犠牲にして教えてくれたのだと思いました。
「カエルの子はカエル」「血は争えない」など、先人が言う様に素直にそのDNAに感謝し、良いところは生かし、自信を持つべきところは自信を持ち、弱いところは予防&改善していくことを、改めて父親の入院事件から学んだような気がします。
お父ちゃんありがとう。ほんまに長生きしてや・・・
父親のいない80才の誕生日を、母子三人で父親がそこにいるかの様な感覚で乾杯し、何気ない話をしましたが、この時もとても平和で幸せな気持ちになれました。
「お父ちゃんがやっぱりおらんと寂しいなぁ」という空気がそこに満ちていました。
そしてその空気は、50年以上も連れ添ってきた母親が一番感じていたと思います。
今回の父親の入院をきっかけに、母親がかなり老けていった様に思えてなりません。
帰り途、弟と「お母ちゃんだいぶ老けたなぁ~。やっぱりお父ちゃんがおらんと寂しいんやなぁ~」「ホンマやなぁ~」と、二人でしみじみとつぶやくように語り合いました。
そういえば、今回の実家にいる間に、お袋が「私らに何かあったら・・・」と、保険の事、通帳の事、母親の入院した時のことなど、本当はまだあまり聞きたくないような事を、色々と話してくれました。
「あ~、もうそんな歳で、こんな事を聞かなアカン時期がきてるんやなぁ~」と、心のどこかで、少し違和感を感じながらも、受け入れなければならない現実を自覚することにもなりました。
一緒に歩んできた様々な歴史や思い出、そしてその夫婦にしか分からない「空気感」は、やはりどちらかでも一方が欠けてしまうと、その空気が吸えなくなってしまう・・・。
色々あっても人生を一緒に創ってきた「夫婦付随のエネルギー」が欠けたり、弱まっていくと、やはり生きる張り合いや楽しみ、面白さなどがなくなり、生きる気力や体力すら弱まっていくのかもしれません。その夫婦のエネルギーの中で、私達兄弟がこうやって育ち、今まで無事に人生を歩んでこれたのだと思うと、本当にありがたく、いくら感謝しても感謝しきれません。
二人の子供で生まれてこれたから、今でもこうして兄弟仲良く幸せに元気に過ごせています。
「お父ちゃん、お母ちゃんのためにも早く元気になって、また一緒に家族4人でバカ話をしながらご飯たべよな」「透析してても、元気で人生を楽しんでいる人はいっぱいいるし、もう少し長生きできるよ。また、ユカ(孫)もサキちゃん(嫁さん)も一緒に、皆で旅行しよな・・・」
父の日を機会にそう思い、願い、気づく日々です。
「お父ちゃんありがとう。お母ちゃんと一緒に、ホンマに長生きしてや・・・」
Guts