じっと手当てしてくれた温もり・・・今でもよく覚えています。
こんにちは、お元気でいらっしゃいますか?
5月と言えば、母の日。
あなた様のお母様はご健在ですか?
私の母は72歳。
おかげ様でまだまだ元気です。
顔は私にそっくりな、ちょっとお茶目な大阪のオバチャンです。
昔から私はまじめとヤンチャが同居するちょっと扱いにくい子供でした。
今は随分マシになりましたが・・・。
中学時代はサッカー、高校は野球、大学はアメリカンフットボール、とクラブ活動にあけくれ、とにかく動いていないと気がすまない私を、ひやひやしながらいつも見守ってくれていました。
そう言えば、小さい時は気管支が弱くて風邪で熱をよく引いていた私を、病院へ連れて行ってくれました。
母親が体温を計ってくれたり、水枕を替えてくれた時に、手の平をおでこに当てて熱を感じ、その熱が早く引きますようにと、じっと手当てしてくれた温もりは今でもよく覚えています。
スポーツで、すり傷の多い私の手や足をオキシドールで消毒したり、ネンザで腫れている足首を湿布してくれたりと、よく介護してくれました。
今から思うとその時は子供なりにとても幸せな気分にひたっていました。
何か母親の愛情や優しさのエネルギーを全身で感じ取っていたような気がします。
高校3年の夏、甲子園の兵庫県予選の3回戦で、甲子園球場で負けたものの、あの広い甲子園のピッチャープレート(これでもアンダースローのいいピッチャーでした)から、父親と恥ずかしそうに応援してくれている母親の姿を見た時に、何かとても嬉しく安心したことも覚えています。
受験勉強に息切れして自信を失いかけていた時に、「精一杯やってダメやったらしゃ~ないやん」と言って、父親と二人で一生懸命なぐさめてくれたことも、いい癒しになっていました。
そう言えば、ダメもとで受けた関学の試験の合格通知が受かっていれば届く日に、「やっぱり届かんかったからアカンやったんやなぁ~」と嘆いている私に、気を落とすだけ落とさせておいて、最後に隠しもっていた合格通知を「これ何か分かる?」と言って手渡してくれた時は、怒りながら大笑いして抱き合ったことを今でも忘れられません。
社会人になってからも、割と大きな会社ばかりでしたが、転職を2~3度繰り返して心配をかけたり、自分で起業してからもずっと
「アンタ大丈夫か?」
といつも電話や会った時には必ず言ってくれる母親の心配癖に時々うんざりすることもありましたが、やっぱり、いつまでたっても子供は子供なんだと、今、自分が娘を持つ身になってみてよく分かります。
少し恥ずかしそうに微笑んでくれた母の顔を見た時、何とも言えない温かい気持ちに包まれました。
そんな母親と少し前ですが二人だけで京都の日帰り神社・仏閣巡りのバスツアーに行きました。
昔から母親は田辺聖子さんなど面白おかしく生きる人の本をよく読んだりして、自分が読んで感動した本や新聞のコピーなどをよくくれていました。
私が人の生き方などにとても興味を持つようになったのも母親の影響かもしれません。
その日一日で色々な京都の奥深さを堪能することが出来ました。
「あ~いい冥土の土産ができたわ」と言って、少し恥ずかしそうに微笑んでくれた母親の顔を見た時に、何とも言えない温かい気持ちに包まれました。
まだ元気でいてくれる・・・・。そう思うと本当に有難いなぁとつくづく思いました。
今までお世話になったことを考えると何もしてあげられないかもしれませんが、健在の内にもう少し母親といい思い出つくりをしようと思った京都の小旅行でした。
お母ちゃんはやっぱりいつまでたってもお母ちゃんです。
お母ちゃんいつまでも・・・・。
そしてこれからもずっと、ありがとう。
(私的な話しですみません)5月、母の日。
お母さんは偉大です!
感謝
Guts