#5 月と水と

映像クリエーター 西嶋航司 PaleBlueDot 君が微笑めば、 水 宇宙 科学 魂

#5 月と水と

旧暦8月15日、奈良吉野の天河神社では観月祭が執り行われます。
深夜、山から差し昇る中秋の名月をタライに張った御神水に映し、その光を心身に宿していくのです。月の波動と水の波動とが一体となる神事とされています。

神殿では祝詞に先立ち、ある言葉が奏上されます。

「それ円通の満月は、とこしなへに法性の天宮に居して、下地の衆生のまちまちなる器、水に応じて、其の影をうつすこと同じからずとかや」。

これは空海さんが天河で修行をされた際、弁財天から賜った言葉とされているものです。
「いくら器が大きくても、少しの水しか溜まっていなければ、満月は映し出されない。たとえ小さな器であっても、水が満たされていれば、そこには輝く月が映し出される。器の大きさよりも、そこにきちんと水が満たされているか?」ということを問われているのです。

映画「Pale Blue Dot 君が微笑めば、」にも、御神水に映る中秋の名月がおさめられています。太陽から放たれた光を月が反射し、その光が月の姿となって地上の水に映し出されるまで、およそ1秒。少しだけ過去のお月さまが、今の水に映されているのです。
それは、水の面が鏡のように張り詰められている時にだけ顕れ、少しでも水面が波立てば消えてしまう、観ようとするとなかなか見ることができない、儚くもあり、ゆらぎの中に存在するお月さまの姿でした。

柿坂神酒之祐名誉宮司が、こんなことを話されています。
「たとえ満月の夜に月が出なかったとしても、大雨の日であっても、その雲の上には煌煌と輝く月があるということを人は知るべきである」。

夜、何気に月を見上げると、その光が自分に何かを問いかけてくるような気がすることがあります。薄闇に閉ざされた雲間からお月さまが姿をゆっくりと表す時、ふと何かに惹かれるように。
それはまるで、ベートーヴェンのピアノソナタ第14番「月光」の序盤に描かれた、伴奏から導かれるようにメロディーが生まれるその瞬間に秘められた呼吸のように。ひそやかなお月さまからの問いかけを感じるのです。

「私の心という器には、ちゃんと水が満たされているのか?」

※2025年の観月祭は、10月6日に執り行われます。

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