#1 内なるもの、外なるもの
ちょうど一年前の2024年2月3日、節分を迎えたこの日に映画「Pale Blue Dot 君が微笑めば、」を初公開させていただきました。今このコラムを目にされている皆さまの中にも、東京青山の会場まで足を運んでいただいた方が多くいらっしゃるかと想像します。
あらためて、世に送り出させていただいたこと、深く感謝申し上げます。
さらに遡ること2年、2022年2月3日。この映画の最後の撮影のため奈良吉野にある天河神社の節分祭に立ち会わせていただきました。実はこの時、第65代宮司の柿坂神酒之祐(みきのすけ)さんから、そのご子息の柿坂匡孝(まさたか)さんに宮司の座を申し渡す日でもありました。
56年間に渡り、深山の神社で一条の光の如く神事を重ねられた宮司の最後の姿を一目見ようと、全国からこれまで以上に多くの方が参集されました。
その最後の神事、いよいよ大護摩に火が入れられます。宮司の一挙手一投足に呼応するように薄煙がゆらいだかと思うと、護摩木のはぜる音が響きはじめ、やがて真っ赤な炎が煙の間から顔をのぞかし、一直線に天を目指して立ち上がっていきます。まるで一切の穢れを焼き払うかのように業火(ごうか)が踊り、その後を追って白煙が渦を巻きながら龍の如く天に還っていくのです。
この光景をカメラに収めながら、私はふとある思いが心に宿るのを感じていました。
「今日という日は、このために仕組まれていたのかもしれない」と。
きっと同じような感覚に包まれた方も多くいらっしゃったかもしれません。
天河神社では、節分祭の前夜「鬼の宿」という神事が行われます。座敷に布団をひき、にぎりめし、梅干しを供え、縁側に澄みきった真水を手桶に張り、鬼を迎えて一晩泊まっていただくのです。その翌朝、手桶の水の中には小さな砂粒が残されているそうです。鬼が手を洗ったのか、一晩お泊まりいただいた証を賜ることではじめて節分祭が執り行われるのです。
すなわち、鬼は大いなる御宝をもち全ての意識を超えて物事を正しく見る、という古からの信仰から「神」として崇められているのです。
なので天河では「福は内」「鬼は内」と唱えながら福豆を撒くのです。
鬼は、自分の内なるものなのか、外なるものなのか、はたしてその境とは?
期せずして、柿坂神酒之祐宮司の節分祭の大護摩は、天と地を繋げる何か大いなるものを、この映画のラストシーンに刻み込んでいただくことになりました。