
「黄色い家」(1888年)
ファン・ゴッホ美術館所蔵
今年は各地でゴッホの展覧会が開催され、様々な切り口で作品が集められました。ということで、今回はゴッホをテーマにします。
フィンセント・ファン・ゴッホ。37歳の生涯でしたが、作品数は約2000点。その中から一点を選ぶのは迷います。
ゴッホというと何色が印象的?「ひまわり」などから、黄色が一番に浮かぶと思いますが、実際には青とのコントラストで現れるのが特徴でしょう。
いろいろな作品を見て感じるのは、黄色=ゴッホ自身。
黄色には「自己主張」という意味があり、アイデンティティそのもの。それを表現するために青を効果的に使っているのだと最初は考えましたが、よく見ると、深い青(藍色)こそがゴッホなのではないでしょうか?
こだわりの強さや自分の信念を追求する姿勢。でも、それを輝かせるために黄色が必要で、本当は黄色になりたかったのではないか?
そのことを象徴するのが「黄色い家」です。この絵は、芸術家を集めるため、アルルへ行った時に描かれました。
「ここに僕はいるよ、みんな来てね」との叫びを感じますが、周りの空は深い青。家の黄色がこれほど明るいのだから、日中のはず。なのにこの深い青であるのはなぜか?を考えたからです。
藍色だったり明るくやさしい青だったり。
それは、その時のゴッホ自身。
「夜のカフェテラス」も同様、青のゴッホが黄色を目指して主張するのです。そして、晩年サン=レミで療養中の作品、「種を蒔く人」「星月夜」などを観るときは、ぜひゴッホがどこにいるのかを感じてください。
太陽や星、月の輝きの周りには青があります。それは藍色だったり明るくやさしい青だったりで、その時のゴッホ自身。自画像や肖像画にも表れています。
そして、黄色と青は次第に融合して様々な緑色に。
最後のオーヴェールでの1ヶ月は、黄色と青、そして緑色。きっと原点はここだ、との思いと同時に、ある意味、自分で折り合いをつけはじめたのかも?と私は感じます。