人間の業深さと、神性のような清明心のせめぎ合い。
こんにちは。
いつもお元気でいらっしゃいますか?
植物達が春の陽気と心地良い風に触れながら、若葉眩しくすくすくと成長する5月。
本来であれば、ゴールデンウィークに家族で旅行したり、スポーツやコンサートを観に行ったりなど、楽しみいっぱいの時節。子供の成長を祝ったり、お母さんに感謝の気持ちを伝える大切なイベントもある月ですね。ところが、この原稿を書いている4月初めの今、毎年当たり前のようにしていたそんなことが、何も考えられません・・・。
ただただ、この誌面がお手元に届く頃には、新型コロナウイルスに感染拡大の終息の兆しが出ていることを心から祈るばかりです。
東日本大震災の時もそうでしたが、当たり前である日常の平安と何気ない幸福感、安心感を奪われるほど、つらく、心細いことはありません。
特に今回は世界中がその厳しい現実をつきつけられたので、命を脅かされる健康不安や自宅こもりのフラストレーションが地球規模で膨らんでいるような気がしました。
大切なこととはいえ、普段はしないマスクをつけ、手洗い、うがい、アルコール消毒など、やり続けるのもストレスですが、必要なものがあっという間に品切れ状態で使えなくなる恐怖との闘いもストレスになっていきました。
オーストラリアではたかがトイレットペーパーで、女性同士が胸ぐらを掴み合うケンカになっていたのは本当に驚きました。
不当な買い占め、奪い合い、転売など、人間の業深さが有事の時に出てくるのは世の常ですが、錆つきやすい人間の「清く、正しく、美しく生きる」という神性ともいえる心は、やはりこういう極限に近い時に試されるかもしれません。
第二次世界大戦下、ナチスのアウシュビッツ強制収容所で、毎日ガス室送りの恐怖に晒されながらも、心理学者として周りの人々のことを見つめ、克明に観察されていたユダヤ人がいました。精神分析学者でもあるヴィクトール・フランクルです。彼はその体験を「夜と霧」という本の中でこう綴っています。死の恐怖から自暴自棄になる人や、人のパンを奪ってでも生きようとする人々の方がかえって死が近づく・・・。逆に極限状態の中でも自らのパンを人に与え、励まし、生きる希望と勇気を与える人や、かすかな未来に希望や生きる目的を持ち続けた人々は、限りなく生に近づく・・・。そんな彼らに共通していたことは、生死の境の中でもユーモアを忘れず、人間として美しい姿、言葉がけを忘れずに、清く正しく、美しい心で、希望や生きる意味を失わなかったことだと。
もちろんアウシュビッツとは比べようもない今回のパンデミックの有事ですが、人間の業深さと、神性のような清明心のせめぎ合いは、今も変わりありません。
清く、正しく、美しい心で気高く生きること。有事の時こそ、見えない大切なものの有難さを噛みしめて。
時として、大自然、地球は、偏重しすぎた物質社会、金銭社会、利己的で自然との調和を欠いた人間社会などに、無常にも揺れ戻しを起こし、正常化、調和させようとしているのかもしれません。
陰極まれば陽。地球に大いなる免疫力、自己治癒力があるとしたら、最もいいバランスの健康状態に整えようとしているのかもしれません。それは、ウイルスや菌という外敵が人の体に入った時、熱を上げて免疫を高め、死滅、浄化させた後で、スッキリして本来の健康状態を取り戻すのと本質は同じなのかもしれません。
もし神仏がいるとしたら、自我が強く、恩を忘れやすく、謙虚さを見失ないがちな我々人間に対して無情なことを起こしながら、清く、正しく、美しい心で気高く生きること、そして「ありがたい」「もったいない」「おかげさまで」の心でまわりを生かし、自分もよりよく生きること、生かされていることに心の底から気づいて、自利利他円満の感謝の心で、精神健康度を高くして生きるように導いてくれているのかもしれません。そう考えると、つらいこと、しんどいこともプラスに転換し、精神的に成長できるいいチャンスなのかもしれません。
人は、人と人が触れ合い、紡ぎ、こだまし合う空気の中で生きて生かされる生きもの・・・。
因みに、今回大相撲の春場所やプロ野球のオープン戦は無観客で行われましたが、テレビで観ていても何か気の抜けたサイダーのようで、味気ない感じがしていました。力士が取り組み前に体を叩く音や四股を踏む音が聞こえたり、野球では、乾いた打球音やナイスプレイに喜ぶ選手同士の声など、ある意味新鮮な音の響きがあったりして、それはそれで新たな感動はありましたが、いたしかたないとはいえ、どこかむなしさの方が勝ってしまうのは本当に残念なことでした。
力士や選手は、お客さんが見てくれるからこそ技を磨き、ここ一番の勝負で最高のプレイとして観せ、楽しませ、感動させる・・・。
観客は、勝負の一進一退の空気感、臨場感、駆け引きや間合い、息づかいや熱気に酔いしれ、まわりの観客と一つになって、我を忘れて歓び、大きな声援を送る・・・。
そんな、選手やチーム、観客の魂のぶつかり合い、化学反応が思いもよらないプレイを生み、忘れられない名勝負として記憶に残っていく・・・。この“生”でしか味わえない“気”(熱気、活気、本気、雰囲気、気配など)に、触れに、包まれに、浴びにいくのが、実は最高の豊かさで贅沢なのかもしれませんね。もちろんスポーツのみならず、演劇、音楽やライブ、寄席、講演会から街のレストランや料理屋さんに至るまで、人が技・芸・得意・個性を発揮して分かち合う場や空間すべてに当てはまると思います。それは、子供達が集えなくなった学校の中にさえもあったのだと思います。
人は、人と人が触れ合い、紡ぎ、こだまし合う空気の中で生きて生かされる生きものだとしたら、無観客試合や自宅学習、テレワークなどはやはりどこか味気なく、寂しさを感じてしまうのも無理からぬこと。所詮人間は、人や動物、植物など様々なものが醸し出し合っている温もりのある空気に触れて、元気をもらって、元気を出していく生きものなんですね。
サン=テグジュベリの「星の王子さま」の中の有名な一節、「ものごとは、心で見なくてはよく見えないんだよね。いちばんたいせつなことは目に見えないんだよね」。有事の時こそ、この言葉を思い出して、清明心、感謝の心、空気、雰囲気、絆、愛、そして時間など、もう一度見えない大切なものの有難さを噛みしめて、清く、正しく、美しく生きていきたいものですね。
空も心身も五月晴れの5月を祈りつつ、ピンチをチャンスに、前を向いていきましょう!
合掌
Guts