艱難辛苦の事業運営。
その困難を乗り越えさせたのは・・・?
こんにちは、お元気でいらっしゃいますか?
若葉が生い繁り、新緑が眩しい5月。気持ちがいいですね。
少し前ではありますが、ある社会福祉法人の30周年の記念誌に、縁あって寄稿をさせていただきました。実は20周年の時にも寄稿させていただいており、今回で2回目になります。
この社会福祉法人は「はなゆめ」といって、障害のある方々に軽作業をしてもらうことで、自立支援や社会貢献を支持するグループです。
昭和60年に第一作業所を開設して以来30年目を迎えられる社会福祉法人で、私達の会社は、その中の「ワークセンターゆうゆう舎」という作業所に約20年お世話になっています。
毎月お客様のお手元にお届けさせていただいている私達からのお手紙も、長年この「ゆうゆう舎」の皆さんの丁寧で正確な封入作業によって届けられていました。
今は主に商品の資料やキャンペーンプレゼントなどを作ってもらっていますが、どんなお願いにもほどんどミスなく、確実にお客様のお手元にお届けができてきたことに、感謝の気持ちでいっぱいです。
一つのことを倦まず弛まずひたすらにやり続けられる「ゆうゆう舎」の皆さんの力は、とても私達に真似できるものではありません。
「単純作業を何時間も何年も、丁寧に正確にやり続けられる能力」という“ものさし”で見れば、彼らこそ、この道のスペシャリストと言っていいのかもしれません。
何をもって障害者というのか、本当は難しいところですね。
今でこそ、障害のある人々の自立支援のNPOは全国にたくさんあり、昔に比べはるかに社会の理解やサポートも充実されてはきていますが、この大変な事業を30年も前から立ち上げ、ずっと続けてこられていることは、本当に感動的であり、尊敬の念に耐えません。
私達の会社も今年でようやく25周年を迎えますが、それよりも早くこの難しい社会事業に取り組まれてこられた大先輩の社会起業家がいらっしゃった・・・。
現実の歴史は、本当に厳しく辛く、嘆かわしく、それはそれは艱難辛苦でいっぱいの事業運営だったことだと思います。
社会の無理解や、大丈夫なの?という不信、不安。弱者ゆえの不当な仕事や条件の提示など・・・関係者の方々の事業に対する誇りや自信、将来性や現実の経済的な安心感は、常にゆらぎ、迷い、悩み、不安の連続だったことだと思います。
そんな中で、何がその困難を乗り越えさせることを可能にしたのか?
それはきっと、始めはできなかった作業ができるようになった時の喜びの笑顔。それらを少しずつ、安定した仕事の質や量に高め、取引先から喜ばれ、信頼されるようになった成長の喜び。
そして大変な作業が長時間になっても、皆で助け合い、協力し合い、愚痴一つ言わず黙々とやり遂げ、納期を守り、お客様に喜ばれた時の感動や満足感。
一緒に働く仲間の澄んだ瞳、屈託のない笑顔、健気にひたすらに作業に没頭する姿など、彼らから醸し出される純粋で素朴なエネルギーの中で、逆に様々なことに気づかされ、感激し、エネルギーをいっぱいもらってきたからではないでしょうか。
心を込めて夢中でやったことには、
その人の澄み切った真、善、美という純粋なエネルギーが宿る・・・。
そこには、障害がある・なしを越えた人と人との“一所懸命のピュアなエネルギーの分かち合い”があって、それらのすべてが、困難の山を乗り越え続けられた原動力になっていったのだと思います。
そして、毎月届けていただいていたお手紙にも、そうした温かく、尊く、純粋なエネルギーがいっぱい詰まっていたと思います。
私達からのお手紙を毎月開封し、じっくり読んでくださるお客様の割合が、通常の通販会社の会報誌と比べ、とても高くなっていたのも、こういったエネルギーをお客様が感じてくださっていたからなのかもしれません。
ひとつのことに集中して、心を込めて夢中でやったことには、その人の澄み切った真、善、美といった純粋なエネルギーが宿る・・・。
そのエネルギーに触れることで人は感動し、喜び、癒され、元気になる・・・。
自分のためにやっているつもりが、研ぎ澄まされていくと、自他の分けへだてなく他の人に喜ばれ感動され、勇気や元気すら与えるものに昇華されていくものですね。
そして、知らず知らずに自然と「ありがとう」という言葉が生まれてくる・・・。
それぞれの“一所懸命”が織り成された先に顕現されてくる奇跡。
そして感動、喜びの連鎖。
以前、シンクロナイズドスイミングの日本代表コーチの井村雅代さんが、阪神大震災の時に、教え子の一人から、「先生、練習している場合やない。ボランティアに行こう」と訴えられた時に、その率直な思いが胸に突き刺さり、「生死の混乱が続く中では、シンクロがなくても人は生きられる・・・」と返す言葉がないくらい思い悩まれました。
そしてその時救ってくれたのは選手のお母さんの一言でした。
「先生、被災者支援は私達がする。子供たちの活動が励みなんです。練習してください」
その言葉で井村コーチは、我に帰り、必死で選手を鍛え上げ、見事、五輪で日本に銅メダルをもたらすことになりました。
その時、井村さんは、「がれきを片付ける人、物資を送る人、音楽で励ます人・・・、様々な能力や役割で人は困難を乗り越え合える。私達にできることは、スポーツで少しでも明るい話題を届けよう」と覚悟を決められました。
その結果、教え子達の鍛えあげられた純粋でひたむきな演技が感動を生み、数多くの被災者の方々に喜びと勇気と元気を与え、銅メダルという日本を歓喜させる現象へと昇華してゆきました。
一人一人の力は小さいけれど、それぞれの才能や個性、役割を、純粋に、ひたむきに出し合い、分かち合っていければ奇跡も起きる・・・。
困難な社会事業を30年続けられるのも、オリンピックでメダルを取り続けるのも、こういった様々な方々のそれぞれの“一所懸命”が織り成された先に顕現されてくるものなんですね。
有名無名に関わらず、“一隅を照らす”尊い一人一人の存在が、社会に喜びの連鎖を与える立派な“社会喜業家”なんですね。
「みんなちがってみんないい(金子みすず)」ですね(^^)
Guts