父を誇りに。

父を誇りに。

ほっとメッセージ

夫婦の約束、そして決断・・・。深く悩み迷う日々がありました。

こんにちは。お元気でいらっしゃいますか?

2ヶ月続けて父親の話で恐縮ですが、あれから2ヶ月も経たないうちに、父親が亡くなりました。
覚悟はしていましたが、少し早かった・・・。
死に目に会えなかったことは本当に残念でしたが、眠るが如く、『竹布』の黄色のパジャマに気持ち良さそうに包まれながら、浄土へと旅立っていきました。

昨年の12月に、くしくも天皇陛下と同じ様に心臓の大動脈瘤が見つかり、それが日に日に大きくなっていく中で、腎不全を併発し、人工透析を余儀なくされるに至りました。
できる限り、『月のしずく』や『神秘の水』、それらで薄めた『玄米元氣』などで元気づけてもらおうと、母親も精一杯の代替ケアを試してみましたが、病院内での徹底した摂取水管理分のや、実際に水を受けつけにくい身体になっていたことから、一気に体力、免疫力を落とし、病状が悪化していきました。

おかゆでも口から食べることができればかなりの元気の回復も期待できましたが、自分の口を通さない点滴によるミネラルやブドウ糖は、口内、食道内から発せされる消化分解酵素などの働きで本当に ・身・体・が・歓・び、・元・気・を・高・め・る・生・き・た・栄・養・素 にはなることができず、精気、元気を回復できないことが改めてよく分かりました。

日常の中では、さも当たり前に繰り返している「水を飲む」「食事をする」「トイレに行く」などの行為がどれだけ大切で尊い生命の営みであるのかが、父親の病床の苦しむ姿を見て改めて気づかされました。

生前、母と父の間では、互いに延命治療で苦しむならできるだけ自然にまかせ、身体を傷つけず潔く余命を全うし合いたい、という約束事がありました。しかしながら実際に苦しむ姿を見ると、病院側からも丁重なる数種の延命治療の提案があり、本当に重いその決断に悩むことも多々ありました。

看護で満身創痍の母親もかなり限界に達していたことと、生前の夫婦の約束という原点に戻ることを最終確認し合いながら、母親や弟と一緒に、最期はできるだけ自然な形で、身体を傷つけないシンプルな治療法をお願いすることになりました。

人の生命の重みと尊さ、そして生き続けることと命寿をどう全うさせるか・・・など、本当にいろいろな事を考えさせる、深く悩み迷う日々がありました。
世の中には、きっともっと重い苦しみ、決断などに悩み、苦しみながら生きていらっしゃる方々やそういった経験をされてこられた方々がたくさんいらっしゃる事を考えると、本当に頭が下がるばかりです。

実際、身を持って体験しないと本当に分からないことが世の中にはいっぱいあることも、身にしみてよく分かりました。

黙々と誠実に生きる姿で人に許しや慈悲のエネルギーを与えた父。
私が知らない父の話に、心の底から嬉しく感動しました。

そしてそれは、初めて葬儀の喪主をしたことにもつながっていきました。
家族葬でひっそりという、これも父母の約束事の一つでしたが、それでも本当に有難いことに、生前ご縁のあった方々が駆けつけてくれました。

目立つことが大嫌いで、口数も少なく、人付き合いも大の苦手な父親でしたが、決して人の悪口を言わず、グチもこぼさない、黙々と誠実に生きる姿にまわりに集う人達は、知らず知らずに安心し、段々とおおらかになっていったようです。

人を責めず、虚勢をはらず、何かを押し付けるような事は決してしない父親だから、きっとまわりの人達を無言に承認し、自然体でいられるようにさせていったのだと思います。

通夜で集まった、近所に住んでいた従兄弟達が、私が知らない父親の話をいっぱいしてくれましたが、父親がいかに愛され、人に許しや慈悲のエネルギーを与えていたのかが本当によく分かり、心の底から嬉しく感動しました。

お父さんの腕の中で育ち、お父さんの後ろ姿を追いかけて。

そういえば、今回40年ぶりくらいに、父の遺品となるアルバムを見ましたが、20才前後の父親は本当に男前で、事前にアルバムを見ていた娘が「おばあちゃん、おじいちゃんみたいなイケメンよくつかまえたねぇ~」と冗談まじりに母親に語るくらい、いい男でした。

若い時はバレーボールに夢中で、大の阪神ファンの父親でしたが、そのトラ吉のDNAと球技が大好きな遺伝子は、私がサッカー、野球、アメフト、弟がバレーボールという具合に引き継がれていきました。

学生時代、大会や試合にこっそりと目立たないように一人で応援しに来てくれた父親の姿は、当時はとても恥ずかしかったのですが、「何とか父親にいいカッコみせよう」というエネルギーにもなり、実は誰よりも凄いパワーをもらっていたと、今になって思います。

自分一人で生きているつもりになっていたのが、小さい時のどの写真を見ても、ゴン太そうな私をしっかりと抱きしめ、はにかみながらうっすらと微笑んでいる父親の姿が写っていました。
「結局、お父さんの腕の中で育ち、お父さんの後ろ姿を見て後を追いかけ、大人になった今でもお父さんの大いなる歴史とエネルギー、そして愛の中で生かされてきたんだぁ・・・」
アルバムを見ながら、もうボロボロに泣けて嗚咽するばかりでした。
父親との思い出が走馬灯のように時空を越えて蘇り、その心のアルバムに歓びと感謝、そしてその思い出を天へと昇華させる魂の浄化のような大粒の涙がいっぱい頬を伝わりました。

40年以上、タイヤ製造の想像を絶するような過酷な現場労働の仕事を、しかも昼夜を逆転する三交替の勤務の中で、グチも言わずに黙々と勤め通し、私達家族を支え、私と弟を一人前の男として育て上げてくれた父「山口正春」を私は誇りに思います。
お父さんの子で本当によかった。育ててくれてありがとう。見守ってきてくれてありがとう。
お父さんのおかげで私達は本当に幸せです。

先月から誌面を通じてご心配をお掛けしましたが、最後は、ほほえみかけているような本当に安心した表情でした。
本当にいいお見送りができたと思います。
ありがとうございました。

合掌

Guts

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