博多の歴女●白駒妃登美の歴史ヒストリア
うちんTomodachi(私の親友たち)
第五話 キリシタン大名・大友宗麟に学ぶ
人は、与えたものだけを得ることができる。
キリシタン大名として有名な大友宗麟(そうりん)。彼とキリスト教の出逢いは、宗麟20歳の時、豊後(ぶんご)(現在の大分県)の国主となって程なくのことでした。
日本にキリスト教を伝えたイエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエルに出会い、彼の熱意に感動して布教を許可したのです。
宣教師たちは、宗麟の支援を受け、教会・病院・育児院などを建設し、貧しい領民を救済しました。
この病院は、日本最初の総合病院と言われ、日本初の外科手術も行われたそうです。
そこには、非凡な才能と行動力が備わったリーダー像が浮かび上がってきます。
ところが、華麗な前半生から一転、宗麟の後半生には暗さがつきまといます。
キリスト教に傾倒する宗麟に将士が反発、彼はしだいに孤立していくのです。
さらには、度重なる女性スキャンダル…。
京の都で美女狩りを繰り返した、美人と評判の家臣の妻を奪って側室にし、武士としての面目を失った夫が自害した…など、不名誉な逸話が数多く残されています。
彼がここまで女性に執着したのは、幼少期の境遇が影響しているのかもしれません。
宗麟を生んだ母は若くして亡くなり、父は、側室が生んだ腹違いの弟を愛したのです。
肉親の情愛に飢え、その欠乏感を埋めようと、もがき続けた宗麟の人生。
もがけばもがくほど、空しさは広がっていくばかり。
その彼の心が、満たされる瞬間がやってきます。
それは、島津氏を相手にした臼杵城(うすきじょう)での籠城戦。宗麟は50代後半、人生最期の時を迎えようとしていました。
彼は逃げまどう数千の領民を城に入れ、自らが握り飯を配り、衣服を与え、窮乏する民を救うために全力を尽くしたのです。
大友軍は、臼杵城を死守しました。
人は、与えたものだけを得ることができる・・・。
領民を心から慈しんだ時、きっと彼は生まれて初めて安心感、幸せ感を味わったのだと思います。
領土よりも愛欲よりも、もっと大切なものを得た彼は、きっと愛に溢れて穏やかに人生の幕を閉じたのではないでしょうか。