長田竜太のお米の話 第12話(最終話)
教科書を紐解く。
〜 米作りは日本人が幸せに暮らすための教科書 〜
いよいよ最終話となりました。
これまで一年間お付き合いを頂き、心より感謝申し上げます。
人が生きていくという条件にはいろいろなことが必要です。
水や空気、そして食物です。
世界に目を向けると、飲める水が無いところは沢山あります。
また急速な経済発展により空気が汚染された国もあります。
まして食物が豊富にある国は世界でもほんの一握りです。
私たちが住んでいる日本にはこれらが豊富にあります。
農業という産業は他の産業とは大きく異なる点があります。
それは、食物を作り出すと同時に環境も整えているという点です。
水田によって水は浄化されます。また植物によって空気も浄化されます。
そして食物を作り出しているということです。
さらにこれらが全て結びつき、循環しているということです。
お米は単なる食物の一つではありません。
お米を食べるということは、私たちの生きていく条件を整えているということなのです。
また、お米は私たち人間にいろいろなことを教えてくれています。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」。
稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように、人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞うものだという教えです。
さらにこの続きとして、身の丈以上に頭を下げすぎると倒れてしまうということを、私は米作りを通じて学びました。
身の丈以上に実をつけすぎないこと、根が浅いのに地上の見えている部分だけが成長すると少し頭を下げただけですぐに倒れてしまうこと。
また育つ土壌に力がないと、そこで育つ稲に力が出ないということ。
米作りは日本人が幸せに暮らすための教科書だったのではないでしょうか。
それがいつの間にか単なる食物の一つになってしまい、日本人はその教科書を紐解くことさえしなくなりつつあります。
今もう一度、米作りという2300年継承してきた教科書を紐解いてはいかがでしょうか。
最後に、「お米の話」のタイトルにはお米の「お」の字に点がないことはお気づきでしたでしょうか。
皆さんでこのコラムに点をつけてお米を完成させていただきたいと思う次第でございます。